NOVELS 小説
- 第2話以降
第62話
人類の未来
ついに竜の首が一つ倒れた。
それは最前線で命を懸ける者たちに大いなる追い風となった。
地に伏した二つ首に引きずられ、三本の首の動きも鈍った。
もともとここに至るまでの間、人々の攻撃をそれぞれ食らっていたのだ。集った戦士の命を多く狩り取ったが、その代償として竜自身も回復が間に合わないほど傷を負っている。
「ここで終わりにしてみせる……!」
グローリーの議長ウィリアムが竜をにらみつけた。はるか遠方の声を「聴」ける彼はこの戦場にて、最も多くの同胞の断末魔を聞いてきた。
愛する者の名を叫びつつ竜の爪に切り裂かれた者。人々の勝利を祈って、その尾に叩き潰された者。……死の恐怖に耐えきれずに悲鳴を上げた者や、この戦場に来た自分の判断を呪いながら死んでいった者もいた。
彼らすべての死がウィリアムの双肩にのしかかる。そのすべてが彼の精神を削り取る。今、膝を折ったらもう立ち上がれないのではないかと思うほど。……だが。
「勝機はあります!」
ガッと誰かがその肩を支えた。
我に返って振り返ると、ピースフルの占い師アステルがいる。つい先日、ジルパワーを使い果たして自国で生死の境をさまよっていた男だ。仲間の奮闘により意識を取り戻してすぐ、こうして死地に舞い戻ってきた。
戦士というにはあまりにも華奢だが、その精神は非常に強靭でゆるぎない。
「四年前に教皇様が世界の滅亡を予言したとき、それは確定的な未来でした。決して回避できない、定められた星の命運……」
「……っ」
「ですが、それから世界はすさまじい速度で希望の方向へ進み始めたのです。困難が訪れるたびに悩み、焦り、手を取り合って。我々が同盟を結んだのも、その過程の一つだったはず」
「そう、でしたね」
「失ったものを数えれば、その喪失感に打ちのめされるでしょう。顔を上げるのです。未来はいつでも、目の前にしかないのですから」
「……そうですね」
迷いのないアステルの声に、ウィリアムはうなずいた。足はもう震えていない。
「占ってもらえますか、『アステル』。この世界の未来のために」
「ええ、『ウィリアム』。もちろん」
……かつては「アルフェラ様」と役職名で呼んでいた。
そんな彼に「議長殿」と返した。
そんな二人がときを経て、初めて名前で呼び合う。
「占う内容は一つ。……今の竜に、ジルコンは糧か?毒か?」
「……毒!」
二者択一のジルパワーを発動させ、アステルはコインをはじいた。
太古の記録により、「大災の竜にとって、ジルコンは糧にも毒にもなる」ことはすでに分かっている。
微量のジルパワーであれば、竜はそれを己の糧に変えてしまう。だがここまでの戦いにおいて、この地に集った二百名を超すジルパワーの覚醒者が攻撃を加えてきた。竜は今、許容量の限界までジルパワーをため込んでいる。
ここから先は、すべての攻撃がその体をむしばむだろう。
***
――竜を屠るは今!
グローリーの議長ウィリアムからの指示は、多くの考えを一ワードに凝縮できるマスターグラシアラによって全軍に到達された。
「おおおお、心得た!!」
ピースフルのトラヴィスが竜の三つ首目掛けて猛攻を仕掛けた。溶鉄のブレスを防ぐジルパワーを持つ彼はひるむことなく、竜めがけて剣を振るう。
「さぁ、逃がさないぜ!トカゲ野郎がぁぁ!!」
――ガアアアアアアアアアッ!!
喉にその剣をつきたてられた三つ首が絶叫する。
「民のために気象予報を極めてきたが……」
フリーダムのSORAは竜の一つ首を睥睨した。
「貴様に大切な者を殺された。その怒りがわたしを覚醒させた……!」
持てる力全てをこめ、SORAは天に向けてジルパワーを放った。
「災い転じて福となす。今だけは、そう信じる!」
突如雷鳴がとどろき、大空に暗雲が立ち込めた。不自然なほどの急展開。
雷鳴がとどろき始めると同時に、カッとまばゆい光が走った。
次の瞬間、まっすぐに天から落ちた落雷が竜の一つ首に命中する。
「遅くなったね」
「待たせたかな」
そのとき、はるか彼方より大型船が近づいてきた。
乗っていたのは長らく、この地を離れていた新英雄たちだ。
ピースフルの新英雄ヴィント、ブレイブの竜騎士団長ロゼッタ。そして……。
「ハハハハハ、なんとかパーティーが終わる前に間に合ったようだ!」
この半年、ぱたりと連絡を絶っていたフリーダムのコミッショナーだ。四大国が集った連合軍会合にも姿を見せなかったというのに、本人は全く悪びれない。
また、この場に集った者たちも皆、彼に反発する者はいなかった。
……コミッショナーなら仕方ない。
そんな風に思わせる空気がこの男にはある。
「われらも加勢しようではないか!さあ、行きたまえ、ロゼッタ!」
「ボク?」
自分で行けば、と口をとがらせながらも、ロゼッタは準備運動のように、甲板で軽く飛び跳ねた。母の敵である大災の竜が今、目の前にいる。
……このために生きてきた。竜の呪いを受け、母を死に至らしめたときからずっと、ロゼッタはこの瞬間だけを夢見て、己を鍛えてきたのだ。
「……不思議だな。ずっと、この日を思い描いてきたのに」
「どんな光景が見えていたのだね」
「荒涼とした大地だったよ。空は荒れ、海も荒れ、この世の終わりみたいな大地でボクは一人、竜の前に立つ。刺し違えたってかまわない。むしろ竜を討った後、死んでしまいたい。そうすれば、母さんの元に行けるから。……ずっと、そう思っていた」
「ふむ、状況は似ているが」
「うん。……でも、ここにはこんなに大勢の人たちがいる。みんな、それぞれの想いがあって、ここに集って、力を合わせて竜を討とうとしている」
ロゼッタは最前線の戦場を眺めた。その口元に、淡く微笑が浮かぶ。まるで、その中に母の姿を見つけたように。
「変なの。竜への憎しみが、なかなかわいてこないや」
「そういうこともあるだろうさ。今、胸に湧いた想いのまま、剣を振るうといい」
「うん。みんなといる未来のために……行くよ!」
ロゼッタは駆けつけたグリフィンにまたがり、空へ飛びあがった。
「ボクは右から攻める!ヴィントは左へ!」
「任せて」
風を操り、ヴィントも空へ舞い上がった。
「ボクにだって譲れないものがあるんだよ!みんなと一緒にお前を倒して、未来を切り開くんだ!」
まるで長年、タッグを組んだ相棒のように、二人は息の合った猛攻を仕掛けた。
――グルァアアアアアアアアア!!!
竜の四つ首が怒り猛った咆哮を上げ、二人を睨み据える。
「さて、われも援護してやらなければ」
コミッショナーはにんまりと笑った。その隣に、スッとフリーダムのディナリア・バースデイが並ぶ。直線で動くもののベクトルを変えるジルパワーを持つ彼女は「偏光」のジルパワーを持つコミッショナーとの相性が抜群だ。彼の力を最大限に発揮するため、彼女はコミッショナーと行動を共にしてきた。
「フフフ、さぁ、狩りの時間です。フフフ、あなたの能力……なかなか魅力的ですこと……」
自身に降り注ぐ太陽光を操り、竜の目を狙うコミッショナーにディナリアが合わせる。
カッと鋭い閃光が走り、竜の目を焼いた。
――ガアアアアアアアア!!
「いまだ、ロゼッタ、ヴィント!」
「任せて!」
「はああああああああっ!」
視界を焼かれた竜の四つ首めがけて、ヴィントとロゼッタが攻撃を仕掛けた。ヴィントの風で助走を増し、ロゼッタが竜の眉間に大剣を突き立てた。
深々と刺さった宝剣に、四つ首はたまらず絶叫する。
「皆、離れろ!!」
そのときを狙いすまし、ウィリアムが声を張り上げた。
心得たように戦士たちが竜から飛びのく。
その瞬間、凄まじい轟音とともに、西の空から極大魔法砲台ヒヤシンスによる特大の一発が放たれた。
――ギャアアアアアアアアアアオオオオオオオオ!!
長く、激しく、大災の竜が悲鳴を上げた。
大きくのけぞって硬直し、やがてその体躯がぐにゃりと崩れる。
四本の首はすべて大地に激突し、停止した。ジワリと大量の血が染み出し、地面に吸い込まれていく。
「や、やったか……?」
誰かが恐る恐るつぶやいた。長く続く沈黙を持って回答とし、戦士たちが歓声を上げようとしたときだった。
「いや……まだだ……!」
再び大災の竜の瞳が赤く燃え上がった。
次の瞬間、四本の首が一か所に集まり、融合する。
首を分ける力がもう残っていないことの証だろう。しかし人間の方もまた、消耗しきっている。
膝をついたまま動けない者、汗だくで倒れ伏している者、剣を手にしつつ、その腕を上げることもできない者……。大怪我を負った者や、すでに生死に関わるほどジルパワーを消耗しきった者もいた。
「あと一歩なのに……」
誰かが悔しさと絶望感をにじませながらつぶやいた。
ここで竜を逃がせば、再び力を蓄えて襲ってくるのは間違いない。しかし人々の方はこの戦いで多くの犠牲者を出したのだ。「次」にはもう、これほどの戦力は集まらない。今回が文字通りの総力戦だったのだ。
――ダメなのか。
その想いが戦場に伝播する。
これほど死力を尽くしても、ダメだったのか。人類は滅亡する運命で、どれほど抗ってもそれは変わらないのか。
張り詰めた糸が切れた瞬間だった。諦観が病魔のように人々の胸に入り込み、絶望感でその心をむしばんでいく。
もはや歴戦の将たちですら、この病は払えない。
……そう思われたときだった。
「ま、だ……」
コミッショナーの船で、澄んだ宝石のような声が響いた。
教皇だ。
なぜかこのタイミングで、教皇のジルコン化が解けている。しかも長きにわたって地底湖に沈んでいたような意識も戻り、聡明なまなざしで世界を見つめていた。
「いや、これは……」
呆然とつぶやいたコミッショナーに対し、教皇は淡くほほ笑んだ。
「……『わたしたち』は、百年前に生まれたモノ」
「…………」
「大災と化した竜が暴れ、地底に潜り、英雄たちは命を賭した。すべてをかけても今一歩及ばず、彼らは次々と倒れ、肉体の鼓動は止まり、世界が闇に沈みかけた瞬間……英雄たちの魂はジルコンに集った。大きな塊。純度が高く、澄み切り、この世界の創生から地底にあったジルコンに」
「……まさか、それが」
「英雄たちの魂を宿したジルコン。……それがわたしたち。人は、ジルコン化などしない。元の形に戻るのみ」
「…………」
「だがこの地のきらめきが、無数に集った覚醒者たちの力が、再び『わたしたち』を呼び戻した。わたしたちは、教皇。百年前の英雄たちであり、ジルコンであり、この世界を愛するモノ」
教皇は大きく息をつき、ゆっくりと彼方を指さした。
「――この選択に祝福を」
その先を目で追う。
不意に、風が変わった。
「みんなー!!」
高らかに、力強い声が戦場に響き渡った。
誰もがハッと息を呑み、空を見上げる。
雲の向こうに、一点の光。それがどんどん近づいてくる。
「すごい……みんな、すごい!勝ってる!!勝ってるよ!!」
「……シャイン」
そうつぶやいたのは誰だったのか。
リーチだったかもしれない。他の者だったかもしれない。ブレイブの民だったか、他の国の者だったのかもわからない。
だが誰もが、その声の主に「光」を見た。
希望を具現化した光が彼方より飛んでくる。
「みんなが削ってくれた……!みんながいなきゃ無理だった!この勝利は世界のもの!」
ミスターメテオランテの操縦するホバーボードに乗ったシャインが声を上げた。背中に抱えていた包みをほどきながら、彼女はまっすぐ、大災の竜の真上に陣取る。
竜が威嚇するように大口を開けた。巨大な牙を見せつけ、シャインに迫る。溶鉄のブレスを吐くためか、シャインを丸呑みするためか。
ぐうっと太い首をもたげ、大災の竜はシャインめがけて迫った。
「あなたにも言い分はあるでしょう……でも、うちらにも大切な人たちがたくさんいる。その人たちを守りたい。だから……」
シャインはその包みを振りかぶり、思い切り大災の竜に投じた。
包みがほどけ、中から何かが現れた。つややかな、琥珀色の塊だ。ふわりと風に乗り、甘い香りが戦場を駆け巡る。
「飴ちゃんあげる!!」
塊は竜の口へと飛び込んだ。
――ギャアアアアアアアアアアオオオオオオオオ!!
勇気の王が作り上げた、唯一無二の「勇気の飴」。百年前の英雄たちが持っていた「英雄のためのジルコン」を煮溶かし、シャインが自身のジルパワーを限界までこめた飴だ。
これまでの戦いで多くの戦士のジルパワーをため込んだ竜にとって、その飴は自身の許容量をはるかに超えた代物だった。
鐵色の体躯が限界まで膨張する。次の瞬間、鱗の継ぎ目から光の筋が何本も走り……
――ドオオオオン!!
轟音を上げ、竜の胴体がはじけ飛んだ。
灰色の瘴気が火山の噴煙のように吹きあがり、あふれ出る血は溶けた鉄のごとく。
灼熱の塊と化した巨体はゆっくりと地面に沈んだ。
……大地が溶ける。瘴気と鉄により。
グ、グ、グ、と大災の竜を飲み込み、大地に深い大穴が開く。
――ガッ……ギ……ァウ……………………
穴の奥から、くぐもった竜の断末魔がしばらく轟き……やがて完全に聞こえなくなった。
「や……やったのか」
「今度こそ……やったか……?」
「も、もう出てこないぞ……」
「じゃあ……じゃあ……!」
いくつもの声が戦場に放たれる。ぶすぶすと黒煙を立ち昇らせる穴の淵から中をのぞき、何も反応がないことを確認する。
生体反応を感知するジルパワーを持つ者が調べた。遠くの声を聞く者が調べた。遠くを見る者が調べた。
力ある者が総力を挙げて大穴をのぞきこみ……やがて結論を下した。
「かった……勝ったぞおおおおおおおおおおおお!!!」
ドウッと歓声が上がった。
ブレイブの勇者たちは獲物を空に掲げ、グローリーの兵士たちは旗を高く振った。
フリーダムの船員たちは笑顔でこぶしを突き上げ、ピースフルの神官たちは筋肉を打ち合わせて喜びを共有した。
――ここに竜は倒され、予言は覆された。
世界の滅びは回避されたのだ。
祝え、新たな時代の到来を!
ブレイブ、グローリー、ピースフル、フリーダムの指導者たちよ、民たちよ。思い思いに、この偉業を祝うのだ!
――こうして世界に平和が訪れた。
竜の飲み込んだ「強力なレリック」は彼とともに、再び地の底に沈んだ。
それでも滅亡の予言は消滅し、人々は新たな未来の夢を見る。
夢を持ち、愛を語り、希望を胸に。
それを信じ、ここに「ジルコン年代記」を記す。
~Fin~