NOVELS 小説
- 第2話以降
第16話
下される試練
A.D.1645'春
……まったく、困難な人生だ。
自由の国フリーダムのコミッショナーはふとそんなことを考えた。
最初にそう感じたのはいつだっただろう。
自分の肌が極端に「光に弱い性質」だと分かったときだろうか。太陽の下に立てば、その肌は真っ赤に焼けて水膨れになり、激しい痛みと熱に苦しむ羽目になった。
そのせいで、コミッショナーは幼少期を暗い地下図書館で過ごした。知識は孤独を慰めてくれたが、太陽を避けて暗闇に潜む自分のことをひどくみじめだと思った気持ちを覚えている。
自分に近づく光を曲げるジルパワーに目覚め、太陽の下を歩けるようになった時はこれですべてがうまく行くと思ったものだ。
だがその後、家に強盗が押し入り、コミッショナーを除く家族が全員殺された。優しかった家族がいなくなり、天涯孤独になったときも絶望したものだ。
悲しみの中で立ち上がれない日々が続いたが、ある日海に希望を見つけた。
――奪われるばかりの存在から、奪う側の存在に。
決して弱者を蹂躙することなく、貴重な人材や希少な宝を求め、航海することでコミッショナーは再び生きる希望を取り戻した。
いつしか荒くれ者が彼の周りに集まり、彼は巨大な海賊団の船長となった。
気の合う者たちとの航海は楽しかったが、集団になったことにより、揉め事が多発した。最も気を許していた二人が対立し、海賊団を二分するような騒動に発展したときも葛藤した。騒動を知りつつ手をこまねいていれば海賊団は内部から崩壊する。だが積極的に介入すれば「船長」の意見が優先され、主張が通らなかった側は絶望するだろう。
悩んだ末、コミッショナーは「決闘」という方法をとることにした。それもひっそりと行うのではなく、衆人環視の中で華々しく。
たまたま廃墟化していた施設を用い、コミッショナーは準備を整えた。派手なことを好む仲間たちはこの方法を受け入れ、集まった観客も熱狂した。
仲間内での揉め事も、商取引で起きた揉め事も、長年の敵同士が起こした揉め事も、国内で起きた揉め事はすべて闘技場で解決する。決闘の見届け役はコミッショナーだ。事前の取り決めが本当に守られるかどうかはコミッショナーが責任を持って管理する。それもあり、フリーダムは自由の国を謳いつつ、無法地帯にはならずに済んでいた。
(全く)
何が起きてもその都度、全力で対処してきた。人はコミッショナーのことを「自由気まま」「本心を見せない興行師」と称するが、いつだって彼は彼の基準で、大まじめに生きているつもりだ。
……だが、さすがにこれは。
「さ、最悪、です……こんな……こんなことに」
コミッショナーは自らの持つガレオン船の甲板で「その」報告を聞いた。
床には半死半生の男が倒れ込んでいる。吟遊詩人としてフリーダム領内の小島をめぐり、興行にいそしんでいた男のようだが、今は目を覆いたくなるほどの惨状だ。
全身はひどいやけど状態で、指は数本炭化している。目も焼かれたのか、光をなくし、呼吸するたびにゼイゼイとのどから喘鳴がこぼれていた。
「ハハハハハ、よくぞ生還した!われの船に拾われるとは、きみの運は尽きちゃいないぞ!」
絶句する部下たちを笑い飛ばすように、コミッショナーは力強く声を張った。目の前で尽きようとしている命に対してもいつものように明るく、強気で。
「まあ、ゆっくりしていきたまえ。医者ならちょうど乗っている。万能で、どんなケガも病気も直すヤツだ。飲んだくれなのが玉に瑕だが……おい、アイツを呼んでこい」
……そんな者はいない。
だが、そんなことはとても言えない。
話しかけられた秘書も心得たように「すぐに呼んできます」といい、どこかに姿を消した。看取ったあと、遺体を海に流す準備をしに行ったのだろう。
「特別にわれのベッドを貸してやろう。どんな不眠症のヤツでも睡魔に抗えない特別製だ。寝酒の蒸留酒もあるぞ。ピースフル産の最高級品でな。ブレイブの激ヤバビールにも引けを取らない魅惑のピースフルモルトと謳われている。他にも……」
「コ、コミッショナー……お伝え、しなければならないことが……!」
「……聞こう」
吟遊詩人の男もまた、自分の命が尽きかけていることに気付いている。コミッショナーは彼の最期の時間に全力で耳を傾けた。
抱き起こしたコミッショナーの腕を男がグッとつかむ。死の間際にいるとは思えないほど強い力で。
「たい、さいの……大災の、竜が現れ、ました……!突然『ノル・ヴェイル』の上空に……っ。黒い鱗と、燃えるような赤い目を持ち……翼を広げ……!鋭い爪で、家々は破壊され……しなる尾で塔は瓦礫と化し……」
「そうか」
「竜は、しばらく、上空を回っていまし、た……何かを探す、ような……何かに、引き寄せられたような……」
「なんだと?」
「その後、深く、深く……奇妙にも思えるほど深く呼吸をし……煮えたぎる溶鉄の息を吐くと……ざ、The Holeの方角へと去っていき……!」
「…………」
「と、溶けた鉄の川は町を覆い尽くし……っ、家々も木々も大地も飲み込み……ま、町は壊滅いたしまし……」
吟遊詩人の声がふいに途切れた。苦痛に歪んでいた顔がほどけ、穏やかになる。コミッショナーの腕をつかんでいた指もほどけ、甲板に力なく落ちた。
誰の目にも、吟遊詩人が永遠に苦痛から解放されたのは明らかだった。
部下に彼の亡骸を預け、コミッショナーはほんのわずか思案した。
……世界はずっとその影におびえていた。
一年と少し前、The Hole付近の小国が滅ぼされたときからだ。
その後、一度も姿を見せなかったが、人々はその存在を忘れたことはなかった。
大災の竜。いずれまた、かの竜は現れるのではないか。今度こそ、被害にあうのは自分なのではないか、と。
考えようによっては、これは好機だ。いつか来るかもしれない恐怖におびえる日々が終わった。前回の出現から一年以上時間が空いたため、四大国はそれぞれ対策を練っている。何の前触れもなく国を蹂躙されるよりは、よほどマシな状況だ。
だがそう考えてもなお、「最悪」の単語が頭をめぐる。
……今、この瞬間を持って、平和な時が終わったのだから。
「書簡を出そう。これはわれらだけでは手におえない」
しばらくして、コミッショナーは重く、苦くうめいた。バチバチとこめかみ辺りで細かく光が爆ぜている気がする。理不尽な死を人々に与える存在に対して、これは人間が抱く原初の怒りといえるかもしれない。
「冷静な文章でお願いしますね」
戻ってきた秘書が慎重に告げた。付き合いの長い相手だ。コミッショナーが好き放題に殴り書きした文章もきれいに整えて送ってくれるだろう。
(まあ、何でもいいさ)
過程は問題ではない。すべては結果を導き出すための手段に過ぎない。
「すべての鱗を取って、牙を折って、爪をはいで売り飛ばしてやる。その肉で大宴会を開いて、骨は骨格標本として見世物にしてやる」
ギリギリとコミッショナーは歯噛みした。
「The Holeにも進軍するぞ!中に眠る宝はすべてわれがいただく!自由の国フリーダムがいつまでもおとなしく奪われる側に回っていると思うな、世界よ!」
高らかにほえた彼の業火は空に放たれ、国を覆い尽くした。