NOVELS 小説
- 第2話以降
第22話
曲者の一手
自由の国フリーダムの中央には闘技場がある。空が見える円形闘技場を囲むように階段状のギャラリーがあり、最上段には見晴らしのいい部屋が作られている。ここが闘技場運営委員長でもあるコミッショナーの自室だ。
赤と黒の波線を描く絨毯に、紫色のドット柄をあしらったソファーや、金色の足を持つ長テーブル。唯一白い壁にも原色を配置した絵画が無数にかかっており、異様な圧迫感がある。
ギラつく室内に一歩足を踏み入れた者は皆、そこが誰の自室かを把握するだろう。コミッショナーにとっては落ち着くが、来訪者は「一刻も早く去りたい」と言いたげに顔をゆがめる場所だ。
「勇気の王はなんて言ってきたッスか?」
頼れる同胞ジャックス・クロウが尋ねた。一般の来訪者とは違い、原色で彩られた内装にひるんだ様子はない。
常に機敏、常に俊敏、常に最速を誇る、頼れる仲間だ。物おじしない性格をコミッショナーも買っていたが、今は少々勝手が違う。彼もジャックスも、似たような渋面を作っていた。
「絶対厄介なことッスよね?その書簡、俺っちに近づけないでほしいッス」
「ハハハハハ、正直で大変結構。褒美に今すぐここで読ませてやろう!遠慮するな。さあ、ほら!」
「いやいや、俺っち、文字を読むと頭が痛くなるたちで……うへぁ」
押し付けられた書簡を拒否しつつも薄目で眺め……ジャックスは絶望的な声を上げた。まさにコミッショナーがあげたかった声を代弁してもらえた心地だ。
「例の鞭打ち苦行者たちの件だ。フリーダムだけじゃなく、ブレイブにも出現したらしい」
「最悪ッスわー」
「かの国に現れた苦行者のまとめ役がノル・ヴェイル出身だったらしい。その男が『ノル・ヴェイルにはジルコン鉱山があり、大災の竜はそれを狙って現れた』と証言したそうだ」
「俺っちたちもそんなこと、知らなかったッスよ!襲撃の報告を受けて調査に向かったときだって、ジルコン鉱山なんてどこにもなかったじゃないッスか」
「だが他国が信じるはずない」
こうなると事前にコミッショナー陣営がブレイブと同盟を結んだのは幸運だったのか、不運だったのか……。
「まずノル・ヴェイルで本当にジルコン鉱石が採れるかどうかの調査をさせてほしいと言ってきた」
「それは避けられないッスよねぇ」
「もし本当にジルコンが採れるのであれば、大災の竜がジルコンを狙っているかの調査もしたいそうだ。まあ、これも妥当か」
「ブレイブ側はこっちのこと、どう考えてるんスかね?」
「わからん。われがブレイブの王なら、とりあえず開戦だ。そのうえで開戦に持ちかけ、改めて開戦だ」
「またまた~」
ジャックスは冗談だと受け取ったようだが、本心だ。
何しろ状況がまずい。
ブレイブ側からしてみれば、少し前に突然コミッショナーが「フリーダム領地が大災の竜に襲われて壊滅した」と報告してきた状況だ。そのうえ、本来ならば己の利益を最優先するはずのコミッショナーが非常に譲歩した条件で同盟を結びたがり、結んだかと思えば自国に奇妙な連中が現れて、今まで誰一人聞いたことのない妄言を叫び始めた……。
何もかもが意味不明で怪しすぎる。コミッショナーが起こってもいない事件をでっちあげて、何か良からぬことを企んでいると思われてもおかしくない。
「……『これ』もあるしなあ」
コミッショナーはコリコリと額を搔きながら、手元を見た。一見フリントフロック式の短銃だが、弾は出ない。普段使っている銃弾を装填することはできるが、引き金を引いても何も起きなかった。
その銃は数か月前、コミッショナー自身が見つけた。フリーダム近海に隕石が落ち、空いた穴から巨大イカの触手を持つ鮫シャークイッドが出現したときの話だ。国内の対抗勢力たちがそちらに気を取られている間に、コミッショナーはその穴「Hole」へと船を進めたのだった。
穴の中は何もかもが、地上の常識とは違っていた。
一筋の光も差さない完璧な闇。重力場がおかしくなっているのか、船は落下することなく、穴の奥に流れ落ちる滝に沿って航走した。
深く、深く、深い闇へと。
やがて底に到達すると、ぽっかりと開いた海底には太古の昔、海に沈んだ遺跡があった。
呼吸はできる。
圧迫感はあるが、人間が普通に活動できる程度の「圧」だ。
気の遠くなるほど長い時間、海の底で眠りについていたとは思えないほど、遺跡の状態は良好だった。神殿らしき建物の巨大な柱や階段がそっくりそのまま残っている。壁には見たこともない壁画や文字が残っており、文明の跡が見て取れた。
その神殿を進み、最奥に作られた祭壇にて、「それら」はあったのだ。
一つは不気味に輝く諸刃の刀。もう一つは未知の素材で作られた短銃。
レリックだ。
この古代遺跡が沈んだ時代の技術では作り出せないはずの、未知の技術の産物。
コミッショナーに同行していた部下の一人はこれらを調べ、罠が仕掛けられている、と言った。
『今まで見たこともないものです。罠を見抜く私のジルパワーをもってしても、その詳細が分からない』
『分かることだけでいい。話したまえよ』
『おそらく、祭壇からこれらがなくなった瞬間、発動します。これほどの深海で罠が発動した場合、我々の生存率は確実にゼロ。決して生きては帰れません』
『持ち出し禁止の罠か……。して、それは一つか?二つか?』
『はい?』
『どちらか一つでも奪った瞬間、発動する罠か?それとも一つ残せばよいものか?』
……可能ならば、一つはいただく。
コミッショナーの無邪気な強欲さに触れ、部下はさあっと青ざめた。
だが彼もまたコミッショナーの部下だ。この世の財を求め、謎を求め、冒険を愛して船に乗った。
彼は吹き出す冷や汗もそのままに、それでも強気に笑ってみせた。
『……両方奪えば発動する罠、です。ただ、この罠は私も初めて感知するもの……。読み間違えている可能性は否定できません』
『ハハハハハ、いいさ。きみを信じ、連れてきたのはわれだ。この命、預けよう』
コミッショナーは心を決め、短銃を手に取った。
……何も起きない。
『よし』
ほう、と息をつき、改めて短銃を観察する。の銃身に、見覚えのある紋章が刻まれていた。
『アギュウス家の紋章か、これは?』
アギュウスは長い歴史を持つ一族だ。一説には百年前の大災時から続いているとされ、フリーダム国内でも名が知れている。フリーダム東部に作られた灯台でThe Holeを監視する役目を担っているが、彼らの動きに注目する国内勢力はいなかった。
……アギュウス家の者は武力を持たず、野心を持たず、灯台から離れない。
彼らの役目はただ監視するだけだ。毎日毎日、彼らはThe Holeを見続ける。
冒険や略奪を是とする海賊たちにとって、アギュウス家の温厚さはいささか物足りないものだった。
『なぜHole内にアギュウスの家紋が……』
『さあなあ』
聞いてみなければならないが、聞いたところで子孫が真実を知っているとは限らない。長い歴史の中で真相は闇に埋没している可能性もある。
いずれにせよ、放置されていたものならば、もらったところで支障はあるまい。
……かくしてコミッショナーは命がけの航海にて、短銃型のレリック「アギュウス」を手に入れたのだ。
「栄光の国グローリーにてミノタウロスの大群と廃坑道の半分を一瞬にして破壊した巨大兵器……あれと似た性質を感じないか?」
自室にて、コミッショナーはアギュウスをもてあそびながら思案した。
不思議なもので、その短銃はコミッショナーを主に選んだかのように、しっくり手になじむ。早く暴れさせてくれというように。
「グローリーの巨大兵器……アレの発動条件はブタちゃんだったか」
「そう聞いてるッス。グローリー国内で愛されているブタちゃんがピーカブーの音楽と共鳴したことが何らかの起動条件を満たしたって」
「そうだったな」
ピーカブーのジルパワーは「彼自身が演奏している間、ブタちゃんを愛する者のジルパワーを増幅させる」というものだと聞いている。彼の演奏で近くにいる者のジルパワーが増し、それを受けてブタちゃんが覚醒……。結果として極大魔法砲台ヒヤシンスが起動したと仮定すると、同じことが今後、アギュウスにも起きる可能性がある。
――ジルコンが、レリック起動のカギとなる。
その可能性を探るために、コミッショナーはブレイブと手を組んだのだ。あの国でトップアーケイニストの称号を冠するオーガストは良質なジルコンを見抜き、その特性を把握する能力を持つ。彼とともにレリックを調査すれば、この短銃の起動方法が分かるかもしれない、と考えて。
「アギュウス家の末裔が起動条件を知っていれば、話は楽だったんだが」
「そんな銃の話は聞いたこともない、と言われてしまったッスね」
Holeから帰還してすぐ、コミッショナーはアギュウス家の者を召還して、この短銃について問いただした。
……だが、成果はゼロ。現代に生きるアギュウス家の末裔は短銃の存在すら知らず、代々語り継がれているような逸話もないと言った。無欲な一族ゆえか、銃の所有権を主張しなかったのは幸いだ。もし返せと言われたならば、コミッショナーは誠心誠意、言葉と暴力を尽くして銃を譲ってもらわなければならなくなるところだった。
「ブレイブ側の言っている『ノル・ヴェイルの調査』は受けざるを得んな。拒めば、一瞬で信頼を失う」
コミッショナーは肩をすくめた。
「それほど今、われの立場は危うい。……まあ、街の再調査はわれもせねばならんと思っていたところだ。ブレイブの女王の理性に救われたな」
「合同で行くッスか?まー、最初からブレイブのトップアーケイニストと、こっちの『大槌』で武器開発を行う予定だったッスもんね。集合場所がノル・ヴェイルに変わっただけと思えば、まあ……」
「ああ、ブレイブはその後、The Holeへ向かうそうだ」
届いた書簡に目を通しながら、コミッショナーはうなった。
「大災の竜がジルコンに反応するかどうかを検証する、と。そのための道案内を頼まれたが、これもまあ、飲まなければなるまい」
「ほぁ~、誰に任せるッスか?俺っち、行ってもいいッスけど」
「いや、きみの機動力を使いつぶすのは惜しい。……大番頭の部下が妥当かね。定めた目的地を指し続ける羅針盤型のジルコンギアを持つ者がいただろう」
ブレイブには以前、大使として「知の大番頭」が向かっている。彼女の報告により、ブレイブの女王や幹部の面々は非常に理性的で合理的だったと報告を受けた。道に外れた行いをする者には容赦ないが、礼や義を通せばある程度理解を示すだろう。
「短銃型のレリック……アギュウスも貸してほしいって言ってたッスけど」
「それは無理な相談だ。危険を冒し、Holeからこれを手に入れたのはわれ。そうやすやすと渡せんよ」
「ま、そうッスよね」
断ればブレイブの怒りを買うかもしれない……。理性の塊であるコミッショナーの「秘書」ならばその懸念を示すだろう。
だがコミッショナーにとっては、この程度のことなど全く問題ではない。ブレイブの善性に苦笑したくなるほどだ。
「どこまでわれが譲歩できるか、試してるのさ。向こうは一国。こっちは一勢力だ。弱腰を見せた瞬間、対等な関係を築くに足る相手ではないと、同盟自体を破棄される」
「ははぁ」
「どのみち、武器開発は共同で行うのだ。その過程でアギュウスを預ける必要が出てきたら、そのときに検討するさ。今すぐ、これだけ渡す利点はないだろう?」
「了解ッス」
「連合調査団としてノル・ヴェイルで直接顔を合わせれば、相手の人となりも分かるだろう。そのうえで判断しようじゃないか」
様々な考えが目まぐるしく脳内をめぐる。
楽しそうな仲間の視線を感じつつ、コミッショナーは考え込んだ。