KONAMI

NOVELS

ジルコン年代記

41

決死の退却

決死の退却

――先発隊、大災の竜に遭遇。

その報が連合軍の本隊に届いたのは奇跡としか言いようのなかった。

一つ、竜に遭遇した先発隊の猛者たちが、竜による即死の攻撃を防いだこと。

一つ、戦いを長引かせる中で、彼らが多くの会話を交わしたこと。

一つ、先発隊にて交わされた会話のすべてを、「視て」、「聴いて」いた者がいたこと。

「先発隊が竜と交戦中!」

グローリーの船で男が叫んだ。議長ウィリアムの幼馴染ヘンリー・マクスウェルだ。遠く離れた場所の光景を「視」ることのできるジルパワーを有する彼は今回、ウィリアムと共にグローリーの本隊にいた。ここが国防の要だと考えたことが理由の一つ。そして何よりも、自身のジルパワーはウィリアムの能力と併用することで何よりも力を発揮すると分かっていたためだ。

「先発隊の連中、ジルコニア通信装置を使ってないぞ!?」

はるか海の先で行われている光景にヘンリーが首をかしげると、すぐにウィリアムがそちらの音を拾った。

「……使用不可と『言って』いる。装置に不具合が起きたのか、装置を起動させる者のジルパワーに異変があったのか……」

「誰かが竜の攻撃を受けて落下。グローリーの先発隊が回収したぞ」

「ピースフルのヴィントと名乗ったな。……なんと、彼女はまさに今、ジルパワーに目覚めたようだ。戦線復帰し、再び竜に挑みに行った!」

「どの船も敗戦一色。……だが逃げないな。なぜだ、ウィリアム?」

「むやみに下がれば、この本隊まで竜を誘導してしまう、と危惧しているようだ。……彼らの判断は正しい。我々がここにとどまっていては、先発隊の逃げる機会まで奪ってしまう」

ウィリアムとヘンリーは互いのジルパワーを活かし、先発隊の様子を正確に把握した。無論、彼らの力とて万能ではない。大勢の声が頭に流れ込んでくるたび、ウィリアムは激しい頭痛に苛まれ、大勢の動きを見るたび、ヘンリーは目はずきずきと痛んだ。

それでもジルコニア通信装置が使えなくなった今、自分たちの情報こそが命綱。

そう信じ、彼らは途切れることなく能力を使い続けた。

「マスターグラシアラ、各隊に連絡を!」

ウィリアムが叫んだ。

「この本隊の通信装置は生きています!先発隊の情報を各国に伝えてください!」

多くの情報をワンワードにこめて他者に伝えられるマスターグラシアラがうなずいた。

『そうぐう!』

ジルコニア通信装置を開始、各国の本隊に先発隊の様子が伝えられた。

彼らの執念で、その情報はグローリー以外の三国にも共有された。

連合軍からはどんなに目を凝らしても、まだ大災の竜の姿は見えない。

このまま後退しようと訴える声が多数を占めた。先発隊の犠牲は無念だが、本隊まで瓦解したら世界が終わる。ここは一度引き、戦力を整えてから竜に挑むべきだ、と。……だが。

「前進!!」

ブレイブの船で、シャインが叫んだ。

即座に「応!」と声が上がり、船が加速する。操舵を担うのは新たに四天獅の座についたクナラ。そしてこれまでずっとシャインの護衛として、本国に身を置いていた「百錬」の四天獅レオ・ブラックスミスだ。

「もどかしかったでしょ?」

海風を受けて水平線を見据えつつ、シャインはレオに言った。

「あなたはリーチと一緒に戦場を駆けるのが最も似合うのに」

「とんでもない、陛下の護衛という栄誉を賜れて、光栄でした」

短く刈り込んだ青髪にバツ印のそりこみを入れたレオが微笑み、愛用の槍を構えた。

「時間をいただけた分、愛槍の手入れは十分です。ご所望とあらば、竜の首を取ってまいりましょう」

「……ずっと思ってたけど、レオって口調と行動がバラバラだよね」

いついかなるときも丁寧で温和な口調を崩さないが、レオは案外好戦的だ。まだ若かりし頃、自らの打った武器の性能を確かめるため、戦場に赴いただけのことはある。

そして経験を積み、彼はぐんぐん力を付けた。今では四天獅の一人であるとともに、竜騎士団「ジェルジオの槍」の副団長も兼ねている。

(絶対、ものすごく心配してる)

隊長であるロゼッタが「ジェルジオの槍」の精鋭とともに消息を絶った後、国内に残った団員たちのことはレオが束ねてきた。

本当は彼が一番、城を飛び出したかったことだろう。すぐさま船を向かわせ、ロゼッタを探したかったはずだ。それでも彼は耐えてくれた。驚異的な自制心で己の意思を抑え込み、国防を優先してくれたのだ。

「行こう。何が起きたのか、うちらはちゃんと知らなきゃ」

「ええ、進みましょう」

シャインたちの脳裏に浮かぶ「予想」は最悪なものばかりだ。それでもそれを知らなければならない、と己を奮い立たせる。

ブレイブの船は戦場の最前線に向かって、一気に加速した。

***

「危険です、教皇様っ。ここは一時撤退を!」

先発隊からの報を受け、ピースフルの船にてオリシスが叫んだ。英雄騎士団長の名を冠する彼女は「教皇をThe Holeへ連れていく」任を受け、連合軍に従軍していた。

自分や英雄騎士団、鞭打ちマッスル騎士団の面々ならば、十二分に武力を備えている。予期せぬ竜の襲撃だろうと、鍛え上げた筋肉で跳ね返してみせる気概はある。

だが今は、同じ船に教皇が乗っているのだ。The Holeへ行くための備えをしただけの船では、彼女を無傷で守り通せる保証はない。

「先発隊も撤退を訴えておりますっ。ここは引き、今一度体制を整えましょうっ」

だがそのとき、わあ、と甲板の隅で声が上がった。

何事かと目をむいたとき、一人の男がピースフルの船に乗り込んでくる。銀色の髪を漆黒のカチューシャでまとめた男だ。休むことなく小舟を漕いできたためか、彼は滝のような汗を流し、息を切らしていた。

「だ、大番頭から第二報!」

「誰です、あなたはっ」

「アレン・ウォード!フリーダムの者だ!」

目を凝らすと、同じように他国の船にもそれぞれ、小舟が接近するところだった。ジルコニア通信装置が使えないと判断し、フリーダムの大番頭が伝令を飛ばしてくれたのだろう。

(グローリーの議長たちがいるのだから無理せずとも……いや)

先発隊が大災の竜と遭遇した、という報がグローリーの本隊からもたらされた後、通信装置は沈黙している。これはグローリー側が職務放棄したからではないはずだ。

(万能なはずがない)

確かに遠く離れた場所にいる者たちの声を「聴」くウィリアムのジルパワーは情報戦に置いて、非常に有利だ。さらに今は、離れた場所を「視る」ことのできる相棒も同船していると聞いている。

だが強力な力には、その分大きな反動が来る。

先発隊の情報を得るため、彼らは大量のジルパワーを消費したはずだ。二人は第一報を伝えた後、無力化されたと考えたほうがいい。

「助かりましたっ。して、大番頭はなんと?」

「コミッショナーから、光弾による信号が上がった。仲間内のみで使われてる暗号による通信だ」

「おお。その内容は?」

「それがな……。『青薔薇、救出……われ、大穴……竜、殺すな』の三つだ。青薔薇というのは多分、ブレイブにて行方不明になっていた竜騎士団長ロゼッタのことかと」

「救出されたということですかっ。それはよかった」

「んで、コミッショナーは戻ってくるのではなく、大穴に向かうらしい。……ここまでは異論ないと思うが」

「……『竜を殺すな』は、さすがに承服しかねますねっ」

さすがのオリシスもうなった。フルフェイスの仮面の奥でも、しかめツラをしているのが皆にも伝わったことだろう。伝令役として現れたアレンも気まずそうに頭を掻き、視線を泳がせる。

「そこはオレサマたちも説得材料を持ってねえ。もともと、今回使われた信号はコミッショナーからの一方通行でしかねえんだ。自分に向かう光を曲げて打ち放つ、あの男だからできる代物でな」

「何を想定してその信号を送ったのか、までは分からないということですか」

「ああ。……一応、『不殺』の信号は単に『殺すな』だけじゃなく、『立ち向かうな』、『撤退しろ』も含んでる。ただ……」

厄介ですね、とオリシスはうめいた。

こうしている今も、先発隊は竜と対峙しているはずだ。その猛攻をしのぎつつ撤退することは難しい。むしろ後退した彼らを竜が追ってきた場合、この本隊も窮地に立たされることになる。

(先発の彼らは覚悟しているはず……っ)

ここで引いては教皇の身に危険が及ぶ。ならば自分たちはここに残り、命を懸けて時間を稼ぐしかない、と。

「今は、緊急事態ですっ」

オリシスは歯の隙間から声を絞り出すようにして言った。自分自身の正義感や気質ではなく、託された役割に「殉じた」判断を下さなければ。

「詳細が分からない以上、コミッショナーの伝令は聞けませんっ。今、何より優先されるべきは教皇様の身の安全。ピースフルの先発隊は前線をそのまま維持っ。我々は教皇様を本国にお運びしますっ」

「…………っ」

命をかけ、コミッショナーの言葉を伝えに来たアレンが悔しげに唇を噛む。

だが彼自身も、ここでオリシスを説得できる言葉は持っていない。

ピースフルの船がゆっくりと反転しようとしたときだった。

「コミッショナーは、正しい」

「教皇様!?」

そのとき、透明な声がその場に割り込んだ。恐慌状態に陥っていた周囲から、ふっと喧騒が掻き消える。まるで神殿にいるかのように、「彼女」の声だけが静かに響いた。

「先行し、真実を掴んだ。……誠意ある、意志の声」

教皇だ。安全な一室にいたはずの彼女が、いつの間にか甲板に出てきている。手に、小さな小箱を持ち、彼女はそこから何かをつまみ、口に入れた。

……コロ。

軽い音とともに、ふわりと甘い香りが漂う。教皇は小箱に目を落とし、一瞬遠くに視線を投げた。いち早く加速し、まっすぐ先発隊の元へ向かうブレイブの船を。

その瞬間、教皇の目に光が宿った。少しずつ削られ、摩耗していった理性の光が再び彼女の体内をめぐる。

「勇気の女王の、想い。……それがつかの間、わたしたちの、意識を、この世界に留めて」

「それは、どういう……っ」

「残された時間は、少ない。この飴が消えるとき、わたしたちの、自我は、再び闇へと……。船を、前へ。わたしたちを、竜の元へ」

「は、はいっ!」

はっきりと自我を取り戻した教皇の指示を受け、ピースフルの船は活気づいた。あわただしく風を捕らえ、船はそれ自体が生き物のように海面を疾走する。

「フェアリス、……『彼』を、ここへ」

「……っ」

教皇がオリシスの本名を呼んだ。「彼」が誰のことを指すのか、説明されなくともオリシスには分かった気がした。

……今はピースフル本土にいる者たち。

教皇のことを想い、そのそばで戦い続けた者たち。

「ピースフル本土に通信をつなぎますっ。急ぎ、準備をっ」

オリシスはジルコニア通信装置を持ってこさせ、打ち慣れた送信先を指定した。やがて、はるか海の先から答えがある。

オリシスは声を張り上げた。

「教皇様、竜と対決の意志あり!至急、増援願う!」

『承知!』

はるか海の先、ピースフルにてその報を受けた男たちが言った。矢のように海を駆け、彼が到着するまであと少し。