NOVELS 小説
- 第2話以降
第19話
平和と栄光の架橋
辺りに響き渡っていたざわめきが徐々に収まってきた。
「ようやく終わりましたね……」
栄光の国グローリーの国会議事堂にて、議長を務めたウィリアムは大きく息を吐いた。
国会議事堂は数百の人間を収容できる。有事の際に開かれる大評議会に欠席者はおらず、びっしりと埋まった席で熱い議論が交わされるのだ。
毎回長時間にわたるが、今回は群を抜いていた。
朝に始まり、終わった今も外では朝日が昇っている。全参加者が食料と飲料こそ持ち込んでいたが、仮眠もとっていない。それほど長時間にわたった会議がやっと終わったのだった。
「いやあ、お疲れ。白熱したね」
議長席で眼痛に耐え、目を揉んでいたウィリアムに声がかかった。振り返り、思わず口元に苦笑が浮かぶ。散々議論をひっかきまわした男性がそばに立っている。
「ショーメイカー、あなたがもっと早く賛同してくれたら、半分の時間で終わったのですがね」
「何を言う。私はこの国の利益のことを誰よりも本気で考えているだけさ」
パリッとしたスーツに身を包んだ男性だ。髪型も計算され尽くした角度で優雅に波打ち、胸飾り<ジャボ>にもシミ一つない。
彼は栄光の国グローリーにてジルコンの採掘管理や各国の貿易を担う商会長だ。金儲けを何よりも貴び、金を愛する。ショーメイカーと名乗っているが、彼の本名を知る者は皆無だ。常に本心を見せない笑みをたたえ、彼は白熱する議論に嬉々として参加する。
「あのピースフルから来た同盟の誘いだろう?教皇様を頭上に仰ぐ、英雄教の総本山。いつだって『我々が民を導く』という姿勢を崩さず、一段上から私たちを見下ろしてきた国が、どんな心境の変化かね」
「言葉が過ぎますよ、ショーメイカー」
ショーメイカーは金のみをひたすら愛している。オルフィニア大陸中に信徒を抱える英雄教も彼の中では何の意味も持っていない。ショーメイカーなら教皇相手にも平然と絵画を売りつけるだろう。
(ただまあ、彼のような視点も必要だ)
このグローリーにも英雄教の信徒は多い。議会主義を取っているため、信徒の発言力がそのままグローリーの「民意」になりかねない危険をはらんでいるのだ。その天秤が大きく傾けば、グローリーはピースフルの属国になり果てる。一歩引いたところから冷静に議論を促す者の存在は貴重だった。
「今回はピースフル側の理性に助けられた部分もあります。あの国が『教皇様』を前面に押し出す交渉をしてきたら、まっとうな議論にはならなかったでしょうから」
「まあな」
ウィリアムはショーメイカーを伴い、議事堂を出た。予想した通り、朝日が辺り一帯を照らしている。寝不足の目が染みるほど、周囲は光であふれていた。
「結論が出てよかったよかった。これで穏やかな眠りにつける」
「ええ、お疲れ様でした」
「その言葉は議長殿、君もぐっすり眠ると取っていいのかな?」
「私は、大使をお待たせするわけにはいきませんから」
疲労の色は濃いが、それを隠してウィリアムは笑った。
今、迎賓館にはピースフルから来た大使がウィリアムを待っている。議会で出た答えを伝えなければ、彼は自国に帰れない。急いで伝えてやらなければ。
ウィリアムはショーメイカーと別れ、迎賓館に急いだ。
最も広い一室をノックすると、落ち着いた返事がある。
「お待たせいたしました。よくお休みいただけたでしょうか」
「ええ、お心遣いに感謝いたします。大変快適に過ごさせていただきました」
そつのない仕草で、銀髪の青年が深々と頭を下げた。
「アルフェラ様、とお呼びすればよろしいでしょうか。改めて、我が国においで下さったこと、心より歓迎いたします」
確か本名は「アステル」だった記憶があるが、ウィリアムは彼を本名ではなく、二つ名の方で呼んだ。それで正解だったようで、アステルは深く頭を下げ、ウィリアムの思慮に感謝の意を示した。
「突然の訪問を受け入れてくださり、こちらこそ感謝いたします、議長殿。……して、早速で恐縮ですが……」
「はい、我が国の決定は」
話しながら、ウィリアムはかすかに喉の奥に突っかかりを覚え、軽く咳を一つした。
……緊張しているわけではない。ただ、平常心で雑談のように伝えることは難しかった。大きく息を吸い、ウィリアムははっきりと告げた。
「平和の国ピースフルと同盟を結びたく存じます。平和のため、そして民のためという目的は一致しています。互いに尊重し、良き関係を築きましょう」
数日前のことだ。
ウィリアムの元に一通の書簡が届いた。ピースフル外交使節団の大使が伺いたいというものだ。礼と義を尽くした対話への道を拒むのは信条に反する。受け入れの許可を出したところ、すぐに一人の大使が入国を果たした。
それがピースフルのアステル……滅多に表に出てこない教皇に代わり、政<まつりごと>を取り仕切っている男だと分かったときは、ウィリアムもひそかに動揺したものだ。
そのレベルの人間が足を運ぶ事態なのだ。今、起きていることは。
事実、アステルはウィリアムに謁見すると、この百年で前例のないことを話し出した。
――グローリーとピースフルの二国間同盟。
それが教皇の要望である、とアステルは告げた。
もとより、グローリーとピースフルは良好な関係ではあった。
ともに理性的で、平和を貴ぶ国民性を持ち、深刻な対立も起きたことがない。はるか昔に国境を決める際も、みずみずしいオリーブの自生する山を二国で分け合い、そこを境にしたほどだ。
ただ、だからといって過剰に親密だったわけではない。両国は相手に敬意を払いつつも一線を引き、互いに不可侵の関係を続けてきた。
しかし今、歴史が動いた。
大災の竜の脅威に対抗するため、教皇はグローリー側に四つの提案をした。
一つ、英雄騎士団は灯の続く限り、ブタちゃんを守り抜く盾となること。
一つ、骸骨戦士団は最後の一骨まで、竜を翻弄する矛となること。
一つ、教皇は知略を尽くし、竜との戦闘に置いて貴国に貢献すること。
一つ、修道院の叡智を示し、病人とケガ人の治癒を担当すること。
それはグローリー側にとって、「得」しかない提案だった。
この国には武力に秀でた戦士が少ない。そして約一年前、各国に開いた小さな穴「Hole」から這い出してきた怪物ミノタウロスも消滅させたため、戦力増強には至っていない。
(あのときはああするしかなかったが……)
後日、勇気の国ブレイブでは襲って来たグリフィンを使役して竜騎士団を結成し、平和の国ピースフルでは墓場から這い出した骸骨戦士たちの魂を浄化し、友好な関係を築いたと聞いたときはやや悔いたものだ。自由の国フリーダムでもシャークイッドを狩る大会を開き、高級素材である鮫皮を商取引の材料にしたようで、当時の襲撃を利益につなげられなかった国はグローリーだけだ。
無論ミノタウロス討伐に関して、使い方の分からなかった巨大な立体物が有益だと分かったことは大きい。極大魔法砲台ヒヤシンスと名付けられた古代兵器の起動方法も分かったため、今後は国防に役立つだろう。
(だが、あの兵器はいまだ未知数)
連続使用に耐えうるのかも、威力調節ができるのかも不明だ。あいまいなまま実戦に使用することは危険であり、後々どのような影響が出るかもわからない。栄光の国グローリーとしてはヒヤシンスを多用することなく、国を守る策を探す必要があった。
(その「戦力」をピースフルが担ってくれるとは)
なぜそこまでしてくれるのかが分からないほど、ウィリアムは愚かではないつもりだ。
おそらくピースフル側が期待しているのは魔法砲台の使用と潤沢なジルコンの提供。ただそれをピースフルの教皇は書簡で求めてきていない。
……英雄教の総本山らしい甘さだ。
交渉相手が英雄教徒ならば、彼らは教皇から施された「一」を「百」で返すだろう。
だが今は国同士の取引だ。相手が何も求めてこないのであれば、自ら差し出す必要はない。ピースフルの英雄騎士団と骸骨戦士団を借り、教皇の知識を絞り、修道院で担う医療を丸ごと使い、ただ感謝して終わったとしても、非難される筋合いはないのだ。……だが、
「互いに尊重するのであれば、一方的な搾取は信条に反します。調印を交わす前に、条件面をもう少し話し合いましょう」
「願ってもない話です」
深くうなずくアステルに対し、ウィリアムはグローリー側から提供する条件を語り始めた。
かくして両国は互いの避難支援や、大災に備えた協力体制を目的とした同盟に調印した――。