NOVELS 小説
- 第2話以降
第13話
命がけの問答
平和の国ピースフルの大聖堂はエリアが何層にも分かれている。
一般信徒が礼拝のために訪れる礼拝堂や、神官たちが日々の祈りや勤めを行う居住区。アステルの仕事場も大聖堂内に作られている。
それらの施設のさらに奥……日頃、誰も立ち寄らない最奥に真の意味での「神殿」が建てられていた。
こんもりとした木々に囲まれ、背面には滝が流れている。舞い散る水しぶきでうっすらともやがかかる中、ざあざあと澄んだ水音が辺りに反響していた。
まるで日々の暮らしから切り離されたような幽玄……。
小さな神殿はこの日も静寂の中にある。
その中で、アステルは一人、深く首を垂れた。
正確には「一人」ではない。彼の前には白亜の階段が作られ、壇上には一人の女性がいた。純白のヴェールを冠でまとめた、美しい女性だ。長い髪は川のように波打っており、白い頬には神秘的な模様が描き込まれている。
「……、――……」
大きな椅子に座っている彼女の口が小さく開いては閉じる。だがその目はうつろに開かれたまま、何も映してはいない。
「教皇様、どうぞ我らの進むべき道をお示しください」
恐怖と動揺、緊張で声が震える。それを必死に抑え込み、アステルは深く伏したまま、言葉を紡いだ。
「オベリスク近くに『石』が落下しました。教皇様の時代、すべてを破壊し尽くした隕石と同様のものが……小型ながらも、その石は深く大地をえぐり」
「……、――……」
「穴から……穴から、白骨化した死者の大軍が現れました……!皆、墓地で眠りについていた者たちです。……そ、その骸骨戦士たちはいっせいにここ、神殿を目指して進軍を開始いたしました……!」
「……、――……」
「どうぞ我らの取るべき道をお示しください。どうか、どうか……!」
「……の、……んぇ……」
アステルの叫びに呼応するように、教皇の口から音がこぼれた。夜明けにさえずる小鳥の鳴き声にも似た声音。
アステルは全霊をこめてそれに集中した。……だが。
「……あ、るフクロウの我慢がご飯?」
「……っ」
「凶、見ざる水浴びが遠い、よ、恋の這いずられた、たくさん冠の春違う、氷」
「教皇、様」
アステルは平伏したまま、グッと目をつぶった。
これが教皇であるジルダーリア・サラII世の『今』だ。
ジルコンを体内に埋め込んだ結果、凄まじいジルパワーを身に宿し、成長を止めた女性……彼女はその代償として、人としての感情を失った。肉体は緩やかにジルコン化を続け、口から発せられる言葉は意味をなさない。
アステルが幼いころはもう少し会話になっていたが、数か月前、大災の竜が再び現れたころから、教皇の異変はグッと進んだ。
「……教皇様、ご神託を賜ります」
乱れかける呼吸を整え、アステルは懐からコインを一枚取り出した。
裏面は黒く塗りつぶされ、表面には淡い青色で図像が描かれている。「中央にハトの絵柄が描かれ、月と星が瞬いている。四隅に壺の絵柄が描かれた」コイン。この平和の国ピースフルの国旗と同じ絵柄だ。
「僕たちに勝利する道はあるでしょうか」
「洗い栗痒いけど太陽に近い実よ」
「……っ」
コインにジルパワーをこめ、アステルは指で高くはじき上げる。
受け止め、手を開いた。
……国旗の絵。
(勝つための道は、ある)
希望の炎が胸に宿る。
「重ねてご神託を賜ります。僕たちは骸骨戦士と戦うべきでしょうか」
「青々燃えたでしょう。飛んでるもの口頭」
コインにジルパワーをこめてはじく。受け止め、手を開く。
……黒。
(直接戦ってはいけない)
ぎしり、とこめかみの奥が引き絞られるように痛んだ。この日は海辺の村にて捕獲された賊に関し、すでに一度ジルパワーを使っている。刺すような痛みに耐え、アステルは再び教皇に尋ねた。
「さらにご神託を賜ります。僕たちはこの状況を打破できる人物を探すべきでしょうか」
「今生ざわざわ、だって甘いパイが走りたいもの」
……国旗の絵。
「先ほどオリシスから海辺の村に賊を捕らえていると報告がありました。その人物に託すのはいかがでしょうか」
「来来、妙なまんまる眠いけど痣だらけ、こんにちは」
……国旗の絵。
「そ、の者が現代の英雄なのでしょうか……っ。この国の、希望の……!」
質問を重ねるごとに、痛みはどんどん増していく。
当然だ。立て続けにジルパワーを消費しているのだから。
……だが会話できなくなった教皇と意思疎通するには、これしか方法がない。
アステルは教皇に対し、二者択一で応えられる質問をひたすら重ねる。そして返ってきた答えに対してジルパワーを使い、その正誤を占うのだ。
そうして答えを絞り込み、「神託」を探り出す。
前回、現代の英雄を見つけよと教皇が告げたときも、アステルは同じ方法を取った。質問は二十にも及び、アステルは神託を受け取ったあと、数日間高熱を出して寝込んだほどだ。
「重ねて、た、たまわり、ます……!」
今回はさらに難航した。
アステル自身の焦りが影響しているのか、最短距離で答えにたどり着けない。尋ねては引き返し、質問を変え、再び試し……。
そのたびに問う回数がかさむ。
十、十五、二十……三十。
「最後に……か、確認……を……!と、捕らえた、賊を、解放し……骸骨と、対話を……!そ、それでよろしい、でしょう、か……」
「あれ、虹にがい視て、すごい夏に透けた皿だから」
……国旗の絵。
(あっている)
安心した瞬間、喉の奥から突然、灼熱がせりあがってきた。
「ゴホ……ッ!」
衝動的にせき込んだ瞬間、バッと目の前が赤く染まる。……血だ。
咳は一度で収まらず、立て続けにアステルはせき込んだ。そのたびに、神殿の床に赤い花が咲く。
「失、礼を……!」
教皇の眼前を血で汚してしまうとは。
自身の僧衣でぐいぐいと血をぬぐい、アステルはふらつきながら立ち上がった。もはや彼の激痛は目を焼き、喉を焼き、脳を焼く。目の前には暴力的な光がいくつもはじけ、自分がきちんと立っているのかどうかもわからない。
それでも萎えかける足に力を籠め、アステルは深く頭を下げた。
「英雄の、ご加護を我らに……失礼いたします」
ふらつきながら神殿を出るアステルの背中に、そのとき教皇の声がかかった。
「……を、つけて」
「……っ!」
振り返ろうとした瞬間、ぐにゃりと視界がゆがんだ。急速に遠のく視界をつなぎとめるすべも分からず、アステルは神殿の扉から倒れ出た。
控えていたオリシスがその体を抱きとめる。最後の気力を振り絞り、アステルは教皇の言葉を彼女に伝えた。
そして……それを最後に、アステルの意識は真っ暗な闇へと落ちていった。
――気を付けて。
遠い昔に聞いたものと同じ、温かく、優しい教皇の声をつかの間の子守歌にして。