NOVELS 小説
- 第2話以降
第42話
大穴での出会い
……一方そのころ、フリーダムのコミッショナーはThe Holeに到達していた。
すでに到達していたフリーダム領海のHoleと同じように、The Holeも重力の法則が変貌している。流れ落ちる滝に沿って船は大穴の奥へと進み、深く深く、音も光も置き去りにするほど深く潜ったところで「底」についた。
「ふむ、この辺りもHoleと変わらんな」
少数の仲間とともに、コミッショナーは船から降りた。ランタンにジルコン粉末をともし、周囲を照らす。
「…………」
ざわりとコミッショナー陣営がざわめいた。
前人未踏の地であるはずのThe Holeに、大勢の人間が倒れている。
誰もかれも、同じ衣服を身に着けていた。全身に無残なほどの切り傷を受け、そばには血に染まった武器も転がっている。
「……これ、ブレイブの兵ッスね」
ついてきた仲間、ジャックス・クロウが顔をしかめた。勇猛果敢な男だが、さすがに声が震えている。
こうした血なまぐさい戦場に慣れているはずの修道女、ディナリアも眉をひそめた。むしろ戦場に慣れているからこそ、だろうか。敵味方に分かれ、互いの命をすすり合うような戦場はイヤというほど見てきたが、この光景はそれには全く当てはまらない。
「メテオランテ・エアロですね。同士討ちだなんて、いったい何が……」
「青薔薇の彼女と同じだろう」
コミッショナーは苦々しくうめいた。少し前、突然襲って来たロゼッタのことを思い出す。大災の竜にジルパワーを奪われ、錯乱した彼女はコミッショナーの船を襲った。短銃型のレリック「アギュウス」を撃ち込んだことで正気を取り戻したが、あの奇跡は何度も起きなかったというわけだ。ジルパワーが回復しなかった者たちはこうして、誰も知らない闇の中で命を落とし、骨になる。
「……何か所属を示すものを身に着けているだろう。せめて回収してやれ。同盟国のよしみだ。あの女王に届けてやらんとな」
「了解ッス」
仲間たちはこと切れているエアロの面々の体を調べ、個人を識別するための札を見つけ出した。小さな札には名前と所属、愛する者の名が刻まれている。
それらを回収する仲間たちを見守っていたとき、ふとコミッショナーの足元になにかが触れた。
「……む、ギアか」
拾い上げるとずしりと重い。曇り一つない大剣だ。鉄製ではなく、誰かのジルコンギアだということは分かるが、それ以上の情報を読み取ることはできない。
おそらく、近くで息絶えているエアロの誰かの持ち物だろう。気になるのはのは、その大剣だけは血しぶき一つ飛んでいないという点だ。味方と切り結ぶ前に持ち主が亡くなったのだろうと思ったが、妙に気にかかる。
「そろそろ行くぞ」
コミッショナーは大剣を手に、仲間たちに声をかけた。エアロの個人識別札を回収した仲間たちがついてくる。
そして一行は穴の奥に身を進め……。
「あーっ、ちくしょう!どうなってんだよ、これはよー!」
「…………」
前方から、場違いに明るい声が響いてきた。
***
The Hole内はしばらく、深い洞穴になっていた。奇妙なまでの一本道が続き、やがて巨大な鍾乳洞のような広場に出る。天井は見えないほど高く、鍾乳石と石筍があちこちから突き出した空間だ。
無数の穴が四方八方に開いているさまは、まるで天然の迷路といえよう。
だが、その迷路で迷う者はいないに違いない。立体迷路を構成する一本の道だけが、鍾乳石も石筍もほとんど生えていない。まるで一度、巨大な「何か」が通り過ぎたように。
その道を進み、しばらく経ったときだった。
「あーっ、ちくしょう!どうなってんだよ、これはよー!」
洞内の奥から、ぎょっとするほど明るい声が響いてくる。罠かと疑う気も起きないほど、カラッとしており、活気がある。
慎重に足を進め……やがてコミッショナーは珍しくも、虚を突かれて立ち尽くした。
「くっそーっ、腹減った!喉渇いた!ここで死ぬのか、オレは!そんなの許されんだろう!」
ランタンの明かりに、若い男の姿が映し出される。
「あー……きみは?」
「うおっ、なんだぁ!?」
はじかれたように男が振り返り、距離を取った。
その衣服を見て、コミッショナーたちは顔を見合わせる。
……メテオランテ・エアロの制服だ。汗や血のりで汚れてはいるが、彼自身は無傷に見える。
「エアロの生き残りかね?」
「あああっ、オレの剣!」
男がコミッショナーの手元を見て叫んだ。The Holeの入り口付近で回収した大剣を指さし、彼は一目散にかけてくる。
「見つけてくれたのか、マジ助かった!オレはミスターメテオランテ。ブレイブのメテオランテ・エアロ隊を率いてる」
「エアロ隊の隊長殿か」
「謝礼は後でしっかり払う!ひとまずそれ、返してくれ」
「……まあ、われが持っていても使いようがないからな」
勢いにおされ、コミッショナーは大剣をミスターメテオランテに渡した。海賊が一度手に入れたものを容易に手放すとは、と自分自身に呆れるが、うっかりしてしまったのだから仕方がない。ミスターメテオランテにはどこか、そういう雰囲気がある。彼は慣れた手つきで剣を手にし、安堵したように相好を崩した。
「助かったぜ。こいつもナシでここにいたって、何もできなかったんでな」
「いやはや……とんでもない胆力だな、きみは」
味方が全滅し、自分一人だけがジルコンギアも持たないまま、一片の光も差さないThe Holeに取り残されたのだ。孤独と恐怖が押し寄せる中、今のミスターメテオランテと同じように正気を保てる者がいったい何人いるだろう。水も食料もなく、誰にも発見されないまま朽ちるのだと悲観して死を選んでもおかしくないだろうに。
「仲間が生かしてくれた命だ。無駄にできるかよ」
ミスターメテオランテは静かに言った。
「自分のことも分からなくなるほどの混乱の中、それでも皆の声が聞こえたぜ。隊長を生かせ、後を頼むってな」
「なるほど。きみは隊員から慕われていたのだな」
コミッショナーはそれ以上感傷に浸ることはせず、手早く自分の知る情報を共有した。ついでに差し出した水を遠慮なく飲み干しながら、ミスターメテオランテはうなずいた。
「オウケイ、ロゼッタは無事か。よかった」
「それで、きみは先ほどから何を騒いでいたんだね」
「あー、あれだ。何かで道がふさがれててな」
ミスターメテオランテが前方を指さした。
「真っ暗で見えねえんだが、どうにも気になってよ」
「ふむ、壁とは」
ランタンの光を向け……コミッショナーは息を呑んだ。
「これは……!」
ジルコンの結晶でできた壁が道をふさいでいた。その下に、汚れた何かが散らばっている。一見したところ、布のようだ。
「この布は……衣服、か?」
「これしかねえってことは……旦那、どういうことだと思う?」
「ここで全裸になって、服を脱ぎ捨てた狂人がいる……ではないだろうな」
「ああ、ここに大昔、誰かがいたんだ。しかも一人じゃねえ。何人か」
ミスターメテオランテは痛ましそうに顔をしかめ、汚れた布を見つめた。
「The Holeで命を懸けた者となりゃ、それが誰か、なんて子供でも知ってる。……世界の救世主。神話の時代の、英雄たちが」
「ふむ」
「『彼ら』は命を懸けて、ここに壁を築いた。『何者か』から『何か』を守るために。『何者か』はそれを得ようとして、築かれた壁に体当たりを繰り返した……」
「大災の竜か。そうなると、立ちふさがった英雄の体は粉々だな。骨は砕かれ、肉は飛び散り、長い年月の中で微風に運ばれ、消えていき……かろうじて血肉に染まった服だけが、ここに残ったということか」
「分からねえけどな」
……そんなことが起きたのかもしれない。
すべては推測しかできない。ここで何が起きたのかを今、語れる者はいない。
(謎は深まるばかりだなあ)
もう一つ気になることがあった。海上にて発生した濃霧……「魔の海域」では時間の流れが止まっているように思えたが、The Hole内の遺体は風化している。
これが何を意味するものかも、コミッショナーには分からない。
この場では「生者の時間は止まるが、死者は時の流れに組み込まれる」のか。この場の時間は進むことと止まることを繰り返すのか。
それともこの場の時間は止まったままだが、ここで朽ちた英雄の中に、時間を操るジルパワーを持つ者がいたのか……。
謎の多い空間だ。すべての答えが得られるとも思えない。
だが、だからこそワクワクする。
「せめて何か、持ち帰れるものがあれば……うおっ?」
慎重に衣服を探っていたミスターメテオランテがハッとした。残された数体分の衣服を探り、コミッショナーに「何か」を見せる。
「……ジルコンの結晶か!それも、これほど純度の高い結晶はそうそうないぞ」
元は首飾りだったのか、今にもちぎれそうな紐が絡まっているものもある。
数にして、三つ。
今、ミスターメテオランテが見つけた結晶が三つというだけで、当時何人の英雄がいたのか、までは分からない。
それでも、彼らの遺志がここに残っていた。そしてそれは今、現在を生きる者たちの手に渡った。
「オレは戻るぜ。旦那、アンタはどうする?」
「せっかく来たのだ。われはここを調べるさ。この壁の向こうに、過去の英雄たちが守り通したものがあるのなら、それはとんでもない宝だろう?」
「さすがフリーダム。どんなときもブレねえな」
くくく、とミスターメテオランテは肩を震わせて笑った。この期に及んで自分自身の欲を優先したコミッショナーを不快に思っている様子はない。自由を愛するメテオランテ・エアロの隊長ならではの感覚だ。
「じゃあな。縁があったらまた会おう!」
高らかにそう言い、ミスターメテオランテは大剣を振るった。
どうやってこの場を脱する気なのかとコミッショナーが問う暇もない。
彼は曲芸師のように大剣の上に着地し、宙に舞い上がった。
「おっ、案外、これでも飛べるもんだ。ちょっとコツがいるが、慣れれば何とか……」
「おお……」
「待ってろよ、レディたち!今、オレが行くぜ!」
ミスターメテオランテは一気に上昇し、真っ暗な大穴を飛び出して行った。何度か、洞壁にぶつかる悲鳴が聞こえたが、コミッショナーは善意で聞かなかったことにする。
「また戦況が動くな」
海上で今、何が起きているのか分からない。それでも今、時計の針が大きく動く気配を感じた。