KONAMI

NOVELS

ジルコン年代記

25

まどろみからの目覚め

まどろみからの目覚め

平和の国ピースフルにて国内随一の占い師アステルは渋面を作った。栄光の国グローリーと無事同盟を結んだ矢先、ピースフルは難しい立場に立たされたと言っていい。

四大国に一斉に現れた「鞭打ち苦行者」たちが無視できない流言を流布しだしたのだ。

――教皇は百年前の大災以前にジルコンを手にしており、それが大災の引き金となった。

これまで、誰も聞いたことのない話だ。まだ教皇が意思疎通できる状態にあった時ですら、彼女はそんなことを言わなかった。

誰も聞く者がいなかったから黙っていた、というわけではないだろう。教皇が人々を欺くわけがない。

ならばこそ、教皇に確かめなければならない問題だ。答えを知るのは彼女しかいないのだから。

(だが)

真実を知るのがこうも恐ろしいとは。

「あのさあ、いつまでそうして固まってるんだい?」

そのとき、呆れた声が部屋に響いた。いつの間に入ってきたのか、一人の女性が扉に寄り掛かって立っている。ゆるく波打つ青い髪を肩に流し、ハーフアップにしつつリボン型に結わいている。可憐な花を模した髪飾りを付けているところは素朴な村娘のようだが、彼女の左目には生命力がたぎっていた。

「とっとと行くよ。日が暮れちゃう」

「ヴィント……君もついてくる気なのか」

「当然だろ。ボクを見出したのは教皇なんだから」

ニッと少年のように笑い、ヴィントと呼ばれた女性はしなやかに扉から背を離した。

一切無駄のない動作だ。武芸に秀でた者が見れば、彼女の資質と才能に目を見張ることだろう。

ヴィントは数か月前、突然ピースフルに現れた。小舟で大型の商船を襲ったかと思えば、転覆した商船から海に投げ出された乗組員たちを全員救出してのけた。略奪の罪で捕縛されていたものの、その報がアステルたちの耳に入ったところで事態は一気に動き始めたのだった。

――現代に生きる新英雄を見つけよ。

教皇の命を受けて新英雄を探していたアステルはヴィントこそが教皇の求める「現代の英雄」だと判断した。

牢から解き放った彼女はその後墓場からよみがえった骸骨戦士たちとの力比べを提案し……見事ピースフルの兵力を増強してみせたのだった。

「教皇が呼んでる。行くよ」

「ちょ……待ちなさい、ヴィント!」

さっさと神殿の方へ歩き出すヴィントを、アステルは慌てて追いかけた。

***

教皇の鎮座する神殿はこの日も静寂で満たされていた。

今や彼女の目がアステルを捕らえることはなく、その口から意味のある言葉が紡がれる日もない。彼女との意思疎通はアステルの行う「二者択一の占い」によってのみ果たされ、彼女の喜怒哀楽に触れることは不可能だった。

……しかし、この日は違った。奇跡が起きた。

「待っていました」

「……っ!!」

教皇の唇が、はっきりと意味のある言葉を紡いだのだった。

うつろに開いた瞳は豊かな感情を湛えてはいない。しかしその言葉は確かに、アステルたちに向けられていた。

「しばらく会わない間に、大きくなりましたね、アステル」

「……は……はい」

現実的なことを言えば、アステルは頻繁に神殿を訪れている。教皇の予言や神託を得るため、ジルパワーを使って対話をし、答えを導き出してきた。

しかし、アステルもまた、あの日々を「教皇に会っている」とは思えなかった。地底湖に小石を投げ込み、生じた波紋を見ているだけ……。水面に移る教皇の虚像を眺め、遠き日々に想いを馳せていただけだ。

――ようやく会えた。

その事実に声が震える。まるで幼子に戻ってしまったような錯覚に陥り、跪いたまま顔を上げられない。

深く頭を垂れたままのアステルを見下ろし、教皇は淡くほほ笑んだ。慈愛と悲哀を両方こめた、柔らかいまなざしで。

「長く、夢を、見ていた気が、します。そして、また、わたしたちは眠りに、つくでしょう。……こうして、話せる時間は、とても、短い」

教皇はなぜか自分のことを「わたしたち」と称する。百年前、大災の竜を倒したのち、The Holeに身を投じた英雄たち……命を懸けて世界を救った仲間全員の存在を感じているがゆえのことだろうか。

「あなたから、問いなさい。わたしたちから、こぼれる言葉は、もはや、もう、すでに、存在しない、のだから」

自主的に語りたいことはない、ということか。

それはアステルの目にも明らかだ。教皇の自我は再び、深い穴の奥へ落ちようとしている。

自らが聞きたかったこと、話したかったことが瞬間的にアステルの脳裏を駆け巡る。そのせいで言葉に詰まってしまった彼を一瞥し、隣にいたヴィントが口を開いた。

「じゃあボクから聞くよ」

跪くアステルとは違い、彼女は平然と立ったままだ。

「国内に鞭打ち苦行者なる連中が現れた。連中、『百年前の大災は、教皇様がジルコンを持っていたせいで引き起こされた』なんて言ってるんだ。当然否定したいけど、断言できなくてね。詳細を知りたい」

「百年前にわたしたちがジルコンを……」

眉をひそめ、記憶をたどるそぶりを見せたが、やがて教皇は目を伏せた。

「その言葉は、真実かもしれない、が……そうではないかも、しれません」

「どういうこと?正確に言って」

「すみません……わたしたちには、百年より前の、記憶がない。The Holeで、何と戦い、どのように、勝利したのか」

「待って。The Holeの中で戦った?」

ヴィントの声が驚きに染まる。アステルも同感だった。

神話では、「百年前の英雄たちはThe Holeから出てきた大災の竜を討伐し、大穴の中に姿を消した」とされている。戦ったのは地上のはずだ。

(そうではなかったのか)

改めて考えてみると、十分あり得る話だ。

脅威を完全に祓った場合、英雄たちが大穴に身を投じる必要はない。平和になった地上で、大切な者たちと余生を過ごせばよいだけだ。

英雄たちがそうしなかったのは、大災の竜を排除したあとも大穴の中に「何か」がいたから……。(もしくは、神話の方が間違っていたのかもしれない)

大災の竜との決戦は地上で行われたのではなく、大穴の中だった可能性もある。

瀕死の状態で逃げた竜を追い、英雄たちは大穴に身を投じた。そして大穴の中で竜を倒し、その後、生き残った教皇だけが戻ってきたのだとしたら……。

(筋は通る)

百年後の今、明かされる真実にアステルは震えた。

「覚えているのは、信頼し合える仲間が、いたこと。彼らが、人類の未来を、わたしたちに、託してくれたこと」

「ふうん?」

「そして、わたしたちもまた、その思いに応えたいと、願ったこと」

「なるほど」

雑な相槌を打つヴィントに、教皇は緩慢な仕草でうなずいた。今はまだ声もはっきりしているが、その意思が少しずつほころびているのがアステルにも伝わってくる。

「もし、わたしたちの、失われた記憶の断片が、見つかるとすれば、それはThe Holeの中、のみ」

「教皇様を大穴に連れていけば、はっきりする?」

「……おそ、らく。……いずれにせよ、もはや滅びのときまで、猶予がありません。大災の竜は、急激に力をつけ……」

「なんで?大災の竜にどうやって力を付けたの?」

「人の欲……、業が、眠っていたジルコンを、解き放ち……竜を呼び寄せ……」

「わっかんないなあ。もっと具体的に言ってよ」

「不敬ですよ、ヴィント!」

あまりにも傲岸不遜なヴィントに、アステルは声を荒げた。一向に悪びれないヴィントに対し、教皇は少し目元を和らげた。どことなく、懐かしげな表情で。

「あなたの、色は、よく知る、色。わたしたちに、願いを託して、くれた」

「教皇様に願いを託した?それは他の英雄のことだろう?」

「あなたも、知っているはず。……現代の、英雄。それは……あの日の、願いから、続いている」

「…………」

教皇はヴィントを、百年前の英雄の系譜だと言った。

ヴィントは大きく目を見開いたものの、取り乱すことはしなかった。わずかに息を震わせたのち、揺れる心ごと大きく吐き出した。

「ボクに、家族はいない。子供の頃、いなくなった。……でも昔、死ぬ直前に婆様が話してくれたんだ。教皇様が全てを知ってるって」

「わたしたちが、知ることは、多くない。すべては、The Holeに」

「…………」

「かの地を、目指しなさい。……あなたには、これを」

教皇はゆっくりと手を動かし、懐から何かを取り出した。

……小さなジルコンの結晶だ。だが、これまでアステルやヴィントの見た、どのジルコン鉱石よりもまばゆい輝きを放っている。

「遠き昔、皆で、これを持ち、大穴へ。また出会う、約束と、ともに」

「英雄たちが持ってたジルコン鉱石ってこと?」

ヴィントがしげしげと宝石を見つめる。教皇はゆっくりとうなずき、ささやいた。

「想いが、引き合うでしょう。……アステル、あなたの目覚めもまた、近く……」

「教皇様!」

「わたしたちの、皆の……っ、おもい……、は……針山見て氷時計の蜜が夜の森に見えるから」

「……っ」

教皇を形作る「何か」がぶわりとほどけたように感じた瞬間……教皇の顔から一切の表情が抜け落ちた。普段のようにその瞳はぼんやりと虚空を映し、唇からは意味不明な言葉が紡ぎだされる。

……教皇の魂は再び眠りについてしまった。

つかの間の邂逅はアステルにはじけるような喜びをもたらしたが、だからこそ別れの苦しさも鮮明に彼の胸を貫く。

胸を押さえて喪失感に耐え、それでもアステルは立ち上がった。

絶望ならば何度もした。その痛みはもはやなじみのあるもので、今更うずくまるようなものではない。

「各国に連絡いたしましょう。教皇様の記憶を取り戻すため、我々ピースフルはThe Holeに向かうと」

「ボクも同行するよ。家族の行方を探したいし」

「念のため伺いますが、教皇様に危険が迫った際、家族の行方が判明したら、君はどちらを取るんです?」

「家族」

「……正直に答えていただき、感謝します」

即答してもらえたおかげで、ヴィントのみに教皇の護衛を任せずに済んだ。

大至急教皇の護衛団の編成を考えなくては、とアステルは目まぐるしく思考を巡らせた。