NOVELS 小説
- 第2話以降
第5話
想いの結晶
勇気の国ブレイブの王立美術館は城のすぐそばに建てられていた。広々とした土地を使い、敷地内にはいくつもの建物を有している。
ここは世界各国から集まってきた美術品の収蔵場所。
そして偉人たちの遺志そのものの安置所だ。
「おや、お久しぶりですね」
こつん、と背後で足音が響き、シャインは振り返った。敷地内で最も広い展示室に、眼鏡をかけた青年が立っている。
「連絡をいただければ、出迎えの準備を整えましたのに」
「いいの。オーガストの邪魔をしたら悪いもの」
急にごめんなさい、と謝ると、青年オパルス・ガストフは眼鏡の奥の目をスッと細めて笑った。
「ごゆっくりどうぞ。今、ビールをお持ちしましょう」
「あ、お構いなく……行っちゃった」
会話の途中でスタスタと立ち去ってしまったオーガストにシャインは苦笑した。
いつ来ても彼は変わらない。いつだって彼の興味関心はたった一つのことに注がれている。その無関心さが心地よく、一人で考え事をしたいときはここに来る癖がついていた。キュレーターとして常勤している女性もそれを熟知しており、シャインが一人になりたいときは奥へ通すだけで、そっとしておいてくれる。
「はー……」
展示室自体は無機質な作りをしている。華美な装飾や豪奢な絨毯、カーテンなどはない。大きな曇りガラスの窓から昼は太陽光が、夜は静かな闇が室内に注がれるばかりだ。
だがそれでいて、この展示室に来るたび、シャインは独特の「喧噪」を感じた。
壁に、ケース内に、無数の美術品が置かれている。大剣やダガー、槍や弓といった武器もあれば、壺や食器のような調度品もある。はたまた、どう使うのかもわからないような奇妙な形の置物も。
統一感はまるでない。
だが見る人が見れば、すぐにわかる。
これらはすべてジルコンギア……持ち主が息絶え、永遠の眠りについた遺品だ。
(もう動かない)
シャインが無名の冒険者だったときに出会った人々の遺品もここにある。
持ち主の手中で力を発揮していたときは美しかった。飛来物を確実に防ぐ巨大な盾を持つ者がいた。入れた水が穏やかな眠りを誘う薬に変化する瓶を持つ者がいた。どんなに硬い土でも簡単にすくえるシャベルを持つ者がいた。
誰もが皆、強い思いにより覚醒し、持っていたジルコンをギアに変化させた。いとし子を守るための盾を、末期の病に苦しむ父に穏やかな眠りを、土砂崩れで埋まった親友を救出するための道具を……。
その思いに貴賤はない。
どの「想い」も切実で、得た力で未来を切り開いていた。
(うち、がんばるよ)
彼らの生きた証に触れると、心が燃える。彼らの想いを継ぐのだと自分に言い聞かせ、揺らぐ心を固着させる。そうしなければ、足が震えてしまいそうだ。
(がんばるから、見てて)
***
「それで、どうしたんですか、陛下」
美術館の奥に作られた小さな執務室でオーガストが尋ねた。
彼はこの美術館の館長だ。勇気の国ブレイブにある鍛煌所<たんこうじょ>にて最高の職人に与えられる称号……トップアーケイニストを名乗れる唯一の人物でもある。
鍛煌所は日夜、採掘したジルコンの加工を行う場所だ。純度の高いジルコンほど磨けば強烈な光を放ち、価値のある宝石に生まれ変わる。
その目利きができなければ職人は務まらないが、オーガストは生まれつき非常に目が悪かった。目視でジルコンの品質を見分けるのは到底無理と誰もが口をそろえて言った。
それでも彼は諦めなかった。その結果、ある日ジルパワーに目覚め、手元のジルコンをジルコンギアに変貌させた。
テイスティンググラスへと姿を変えた「ソレ」を使い、オーガストはジルコンを口に含む。それにより、ジルコンの純度や品質を判別できるようになったのだったその能力を生かし、彼は鍛煌所と美術館を行き来している。ジルコンにもギアにも、生きている人以上の愛情を注ぎながら。
「その……オーガストは元気だった?最近、あちこち落ち着かないから気になって」
「おや、陛下らしくもない。僕は普段通りですよ。芳醇なジルコンに囲まれ、毎日幸せです」
地ビールを注いだグラスにオーガストはころんとジルコンのかけらを投入した。採れたてほやほやの逸品です、とつぶやく彼の表情は恍惚としている。
ビールと共に石を口に含み、ビールだけ飲みこむ。そして口内に残した石を飴のように舌で転がし、オーガストはほう、と熱いため息をついた。
「はぁ……夏風をたっぷり含んだデビルゴートの角にたまった朝露の味わい……」
「お、美味しいの、それ?」
デビルゴートは平和の国ピースフルに生息するヤギの一種だ。巨大な角と漆黒の毛を持ち、その角笛は恐怖の響きを奏でるという。そんなデビルゴートの角にたまった朝露を想像しても、あまりおいしそうなイメージはわかないのだが。
「味わいで言うと、ニガ酸っぱいです」
顔をひきつらせたシャインに、オーガストはあっさりと言った。だが辛辣な批評に反し、彼の目元は満足げにとろけている。
「ですが、未知の風味です。ふふふ、これこそ至福」
「そうなんだ……」
「安心してください。陛下のビールには何も入れていませんから」
「ありがとう」
礼を言ってから、果たして今のは礼を言うところだったのか、とやや悩んだ。だがオーガストがしれっとしているため、気にしないことにする。
(……『どうしたんですか』ね……)
オーガストに言われた言葉を思い出す。人間にはあまり興味がない彼にそう問われるほど、今の自分は女王としての「顔」を作れていないのだろう。
「竜騎士団結成のほうが難航してるの」
ぽつりとシャインは言った。吐息のようなささやき声だったが、静まり返った室内では余すことなくオーガストに届いてしまっただろう。声の震えも、意気消沈した声音も。
「騎士が乗る動物が見つからないのも問題なんだけど、それより……」
「何かあったのですか?」
「ミスターメテオランテは『大勢で挑んで、最終的に誰かが倒せりゃいい』って言ってる。……明言はしないけど、リーチも同じ考えだと思う」
「ふむ」
「うちだって大災の竜が再び現れた場合、無傷で倒せるわけないのは分かってる。でも……」
ミスターメテオランテもリーチも、最初から大勢の犠牲を覚悟した上で作戦を練っている。
シャインにはそれが怖い。途方もない強敵が相手でもなお、被害を最小限に抑えたいと願ってしまうのだ。
「なんとかしないと……うちが女王なんだから。死んでいった人たちに託されたんだから。でも何も考えつかないの。一体どうしたら……!」
「まあまあ、落ち着いてください、陛下」
穏やかな声がシャインの慟哭じみた独り言を遮った。荒く息を吐きながらシャインが顔を上げると、いつも通り穏やかに微笑むオーガストと目が合う。
「あなたは責任感が強すぎる。美点ですし、そんな陛下だからこそついていく人も多いでしょう。でも何が起きるのかは分からない。これといった作戦も思いつかない。……そんな状態でいくら悩んだって、名案は浮かんできませんよ」
「そう、かな」
「ええ、ええ。そういうときはパーッとビールでも飲んで寝てしまうのが一番です。最近王立ビール工場へは行きましたか?ガンブリックスが何やら、ものすごい新作を開発したとか」
「アンブローシアが?」
アンブローシアはシャインの友人だ。王立ビール工場の工場長<ガンブリックス>の称号も持っている。
普段は無口で険しい顔をしているが、誰よりもビールを愛し、誰よりもビールを飲む人を愛している。そんな彼女のいう「ものすごい新作」なら、おそらく本当にすごいのだろう。
「しばしの夢に酔いしれなさい。未来へ希望を託す子の元に、英雄はきっと幸運を授けてくれる」
「ふふ」
そうだといいなと思った。
その願いを胸に、シャインはそっとビールを口に含んだ。ぱちぱちシュワシュワと舌の上ではじける炭酸と、健康的な麦芽の苦み。
生命の力強さを感じ、シャインは民を想った。
そして、隣人たちのことを想った。
国は違えど、想いを一つにしている人たち……他国では今、此度の事態にどう対処しているのだろう――。