NOVELS 小説
- 第2話以降
第43話
先発隊の覚悟
先発隊のいる海域は今、狂乱の中にあった。
上空から海を睥睨する巨大な竜。追い風を生み出す大鎌を振るうリーチと、戦線復帰したヴィントが果敢に攻撃を仕掛け、竜の動きを封じている。
体勢を崩し、フリーダムの船に着地した竜の足に、「武の大番頭」が攻撃を仕掛けた。竜の怒りがそちらに向いた瞬間、ヴィントが運んできたグローリーのピヨ太が長い首を駆けあがる。彼は竜の視力を奪うべく、眼前に「色のカーテン」を展開し、それに気を取られている隙に人々は更なる攻撃を仕掛けた。
――連携は機能している。少し前までは考えられなかったが、各国の戦士が力を合わせて戦っている。
竜は強大な敵だが絶望の化身ではなく、人々の攻撃はきちんとその身に通った。
だが、それでも。
「届かんか……ッ!!」
ブレイブの船で、リーチは歯噛みした。前線で最も危険な任につきながら、彼は冷静に状況を把握していた。
人々が命を懸けて仕掛けた攻撃は竜に届く。しかしそのダメージ量は微々たるものだ。十人が命を散らし、竜の鱗を一枚はがしたところで、竜が死ぬよりも先発隊が全滅する方が早い。
……離脱するしかない。
だが、今はそれも難しい。
下手に後退すれば、竜を本隊のところへ運んでしまう。それを避けるためには、皆が逃げる間、誰かが竜をこの場に縫い留めておかなければならない。
「はッ、まさか『あれ』が現実のものになろうとはなッ」
リーチは苦々しく、それでも不敵に笑った。
――われなら死したあとは帆布に包み、あとくされなく水葬でいいがね。
――同感だッ。
辺境の街ノル・ヴェイルにて、コミッショナーと交わした会話が脳裏をよぎる。あのとき、自分の死に場所を指定した男は今、この場にはいない。「青薔薇、救出……われ、大穴……竜、殺すな」と、三つの伝言を大番頭を通じて皆に伝えたあと、音信不通だ。
「ロゼッタが助かったのは何よりだ。竜を殺すな、というのはよくわからんが……」
そもそも殺せない、が正しいだろうとリーチは胸中で苦笑する。
絶対に不可能だと考えているわけではない。「今は」の条件付きの考えだ。
今は圧倒的に戦力が足りない。今回の目的はピースフルの教皇をThe Holeへ運ぶこと。その途中でロゼッタたちを捜索することは視野に入っていたが、大災の竜との戦闘は想定していなかった。
(それは、あとの連中に任せるかッ)
本隊には同じ四天獅のレオがいる。新たに加わったクナラもいる。今回助け出されたロゼッタもきっと牙は折れていないはずだ。
ここで自分が散ったとしても、想いは続いていく。命をつなぎ、想いを受け継ぎ、きっといつか、勇気ある民が争いのない世を作ってくれる。
……ずっとリーチ自身がしてきたことだ。志半ばに倒れた仲間たちの屍を乗り越え、前へ、前へと進んできた。
ゆえに、覚悟はとっくにできているのだ。
「だったのだが、な……ッ」
脳裏に、「彼女」の顔が浮かぶ。
出会ったころから何度も見た泣き顔が。
きっと乗り越えてくれると信じている。今までリーチと共に大勢の死を乗り越えたのだから、きっとリーチの死も彼女は乗り越えてくれるだろう。
だが、それでも。
「無念だッ!」
この自分が、誰よりもその笑顔を望んだ自分が、彼女を泣かせることになろうとは。
(悪いな、シャイン)
心の中で詫びをつぶやく。
「――先に逝く」
口に出して別れをつぶやく。
眼前に大災の竜が迫る。長時間戦い続け、リーチの風力が弱まったことを感じたのだろう。ぐん、と竜は長い首をそらし、その目でリーチを捕らえた。
「…………ッ!」
「させ……ない!」
これが最後。……リーチがそう覚悟したときだった。
突然、何かに張り飛ばされたように、竜の頭部が大きくのけぞった。
――グルァッ!!
「……『到達』さん!」
「ロゼッタ!」
この場に割り込んだ強敵に警戒するように、竜がリーチから距離を取る。再び舞い上がった竜を視界に入れつつ、小柄な影がブレイブの甲板に着地した。
「なんとか間に合ったみたいだね。お待たせ」
「本当に無事だったのか……!よくぞ戻ったッ!」
「なんとかね」
はぁはぁと息を乱しながらも、ロゼッタは言った。衣服は汚れ、髪も風で乱れているが、深刻なケガをした様子はない。
「いったん全部言う。いったん全部飲み込んで」
「おうッ」
「時間の止まった『魔の海域』でボクは竜にジルパワーを吸われ、正気を失った。それをコミッショナーが助けてくれたんだ。アギュウス……フリーダム領海のHoleで手に入れたこのレリックで」
ロゼッタはコミッショナーから預かったという短銃をリーチに見せた。理解不能に等しい話を立て続けに聞かされ、目を白黒させているリーチに、なおもロゼッタは続けた。
「……『魔の領域』の中で、竜騎士団員は何人か見つけ出せた。彼らはジルコンギアを手放してたから、竜の標的から逃れられたみたいだ。グリフィンも無事」
「メテオランテ・エアロは」
「全滅。……多分。ジルパワーを奪われて、海に落ちたんだと思う」
「そうか」
「水面は探したけど、遺品も浮かんでなかった。何も持ち帰ってこられなかったよ。……これは、ボクが陛下に伝えなきゃいけないことだ」
「ああ」
「ボクだけが、生き残ってしまった。……なんて言って詫びればいいか」
「何を言うッ!お前が戻ってきたことが、何よりの喜びだッ!」
リーチは声を張った。
内なる動揺は、ある。戦場は違えど、今まで共に国を守り、シャインを助けてきたミスターメテオランテの死はなかなか受け入れられない。
(どこかで)
生きているのではないかと思った。
いつもひょうひょうとしており、底の見えない男だ。絶対に死んだと思われながら、平然と笑って戻ってくるのではないかと。
(いや)
だが、奇跡はそう簡単に起きないものだ。ロゼッタから伝えられた状況すべてが、ミスターメテオランテの死を告げている。大海原でジルパワーを失い、生きていられるはずがない。
「シャインはこの後ろの本隊にいる。向かってやってくれッ」
「到達さんは」
「お前がこの場を離れる隙を作る力くらいはまだ残っているさ」
リーチの覚悟を知り、ロゼッタが痛ましそうに眉根をひそめた。戦とはこういうものだと互いに痛感するがゆえ、別れの言葉は出てこない。
「竜にジルパワーを吸われると、自分が何者なのかもわからなくなる。このボクが母さんのことさえ忘れるほどに」
「完全に自我が消えるレベルということかッ」
「それで無意識にコミッショナーを襲ってた。コミッショナーは『生存本能から、他者のジルパワーを奪おうとしたんじゃないか』なんて言ってたよ。それはまだ推測の域を出ないけど、考えてみたら不思議だよね。ボクたちにとって、ジルパワーって何なんだろう」
「ふむ」
「血液は全部流れたら死ぬけど、ジルパワーが枯渇してもボクは生きてる。……でも自我はなくなった。じゃあジルパワーがないとき、ボクは『いったい何者だった』?」
「それはいずれ、平和な世でじっくり考えてくれ」
命のかかったこの状況でそんな問答を始めたロゼッタにリーチは苦笑した。我に返ったロゼッタもばつが悪そうに頬を掻く。
「ごめん、なんかまだぼんやりしてるみたいだ」
「いいさ」
ロゼッタの話を聞き、リーチはリーチで少し安堵した部分はある。ジルパワーが枯渇した際に人を襲いだすとしても、周りに誰もいなければ被害はない。自分一人なら、錯乱して終わるだけだ。
「んじゃ、華々しく逝くかッ」
仲間たちに船を任せ、リーチは備え付けの小舟を出そうとした。これでしんがりを務め、皆の逃げる時間を稼ぐため。
……しかし、そのときだった。
「皆、よくぞ耐えました」
澄んだ声が、戦場に凛と響き渡った。