NOVELS 小説
- 第2話以降
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第話
問われる栄光
……一歩、先を進んでいると思う。
……同時に、一手後れを取っているとも思う。
栄光の国グローリーは豊かな国だ。広大で美しいジルコン鉱山を保有し、巨万の富を築いてきた。
その結果国家は安定し、民は飢えることなく、未来を思い描くことができている。
どこかの学者が提唱した説によれば、人間の欲求には段階があるという。腹いっぱい食べたい、安全に眠りたいという生存そのものに対する欲求が最も原始的なもの。それが満たされると、今度は日々の安全性を願い、社会に属したいと願い、さらに進めば社会の中で認められたい、自分の生きた証を残したいと願うようになる。
それで言うと、現在のグローリーにて民のほとんどは安全に暮らし、社会に属することができている。政治に対する関心が高く、活発な議論が日々行われていることがその証拠だ。
この健全な国家形態をグローリーの民は誇っている。この安定した国家であれば、千年後も続くだろう、と。
「平和な世だったならば、だが」
からりと晴れた青空を見上げ、ウィリアム・グローリーはつぶやいた。爽快な空とは裏腹に、その声は苦く、重々しい。
淡い金髪を丁寧に切りそろえ、皴ひとつないかっちりとした衣服を身にまとい、涼しげな双眸で国の趨勢を見守ってきた男だ。彼はいついかなる時も理知的で中立の立場を崩さない。そんなウィリアムが大評議会の初代議長になることを反対する者はいなかった。彼もまた、襟を正してその任務を全うしてきた。これまでは。
「時間があれば、議論は有用。平等を担保に、公平性を維持できた。だが」
平和という前提が崩れれば、議会制民主主義は非常に危険な局面に立たされる。
弁の立つ者が法を決めてきたため、栄光の国グローリーに圧倒的な武勇を誇る者はいない。対話で物事を解決してきたため、有事の際に即決できる権限を持つ者もいない。
大災の竜が百年の時を経てThe Holeから姿を現し、世界を恐怖に陥れようとする今、グローリーという国がはらんでいた不安要素が一気に表面化した。喫緊の課題に対し、自縄自縛で身動きが取れない国家になっていたとは。
「僕が間違えたのか」
王政と貴族社会を否定して打倒し、議会制を推し進める際、先頭に立ったのはウィリアムだ。それがこのような事態になろうとは。
「僕の判断で、この国は……」
「はい、背中を丸めない!」
「……ッ!!」
そのとき、凛とした喝が飛び、ウィリアムは反射的に背中を伸ばした。聞き慣れた声に振り替えると、妙齢の男女が近づいてくるところだった。
「先生」
髪に薔薇のコサージュを付けた眼鏡の女性、グリード・ゲート・フェルディナを見て、ウィリアムは苦笑した。
彼女は国立ジルコニア学園の学園長。ウィリアムも彼女から多くを学び、吸収して学園を巣立った。あれからもう何年もたつが、グリードの見た目は全く変わらず、今日も若々しい。……数十年前、彼女に師事した者もそう言うが。
「あなたがうつむいてどうするのです。わたくし、そのような軟弱者に育てた覚えはありませんわよ」
「確かに、先生には徹底的に鍛えられました」
派手な羽センスを広げるグリードを前にすると、ウィリアムも気持ちが若返る。腐敗した貴族社会を変えるのだと理想に燃えていた、あの頃に。
あのときと比べて自分を取り巻く立場も状況も変わったが、最も重要な部分は不変だ。
――この国の未来をよくする。
そしてそれはウィリアムの独り相撲ではないはずだ。国民全員が、その思いを持っている。
「ピーカブー、わざわざご足労いただき、すみません」
ウィリアムは気を引き締め、グリードの隣にいる男性に声をかけた。落ち着いた灰色の髪とサングラスが特徴的な男性だ。真っ赤なファーコートを肌に直接羽織り、肩には大きな革張りのケースを背負っている。中には彼の愛用の弦楽器が収まっているに違いない。
「あなたの熱いサウンドに日々、ブタちゃんたちが酔いしれていると報告を受けています。進捗のほどは?」
「ハッ、愚問だ!」
ウィリアムの問いにほんのわずか、不安の色を感じたのだろう。男、ゲオルク・X・シェパードは挑むようにウィリアムにビシッと指を突きつけた。
彼は元々、路地裏に集まるごろつき連中を束ねていたが、ある日音楽に目覚めた。その魂を揺さぶる激しいサウンドは人々の理解を拒み、彼を孤独の縁に立たせたという。
しかし運命的な出会いにより、理解者が現れる。
このグローリーにて、人々が愛してやまない愛の象徴「ブタちゃん」だ。
ブタちゃんたちは男の音楽に酔いしれ、熱狂した。理解者を得た彼は自らを「ピーカブー」と名乗り、ブタちゃんと自らの魂を共振させている。
「俺様とブタちゃんの共鳴は順調! 貴様らもブタちゃんと共に、俺様の音楽に酔いしれろ!」
「巨大複合施設<サンクチュアリ>のジルコン研究所からも報告を受けています。興味深い事象が確認されていると」
「ハッハ、『謎っ器』の件だろう! 当然の結果だ! 引き続きすべて俺様に任せておけ!」
「え、ええ」
ピーカブーの勢いに押され、ウィリアムはついうなずいた。その瞬間、ピーカブーの隣でグリードが咳ばらいを一つする。相手の勢いに飲まれて首肯することは彼女の教えに違反する。ウィリアムは慌てて、ピーカブーに向き直った。
「一つ、確認させていただきます。あなたは今『当然の結果』といいましたね、ピーカブー。先日発掘された謎の巨大兵器の起動にはブタちゃんが必要不可欠……。その確証が得られたということですか?」
「ハッハッハ、無論! この俺様が言うのだから間違いない!」
「……根拠はない、と」
自信満々のピーカブーを前に、ウィリアムとグリードは同時に額に手を当てた。
……「その物体」は数年前、グローリーの地下から発見された。
十人以上の民が目いっぱい腕を広げて立ち、ようやく並べるほど巨大な塊だ。砲台にも見える円筒に車輪がつき、移動可能の様相を成しているが重すぎて微動だにしない。大砲に似ていることから「巨大兵器」と呼んではいるが、本当にこれが兵器なのかは不確定だ。何しろ、この物体がいつからグローリーの地下に埋まっていたのかも、なぜ埋まっていたのかも、どうやって使うのかも、すべてが誰にもわからないのだから。
「ジルコン研究所で調査を行っていますが、今までは特筆する報告も上がってきませんでしたよね」
「ただマスターグラシアラが今回、異変を察知したわ。ブタちゃんがそばにいると、あの巨大兵器が振動することがある、と」
グリードが言う。マスターグラシアラは巨大複合施設の支配人だ。施設内に備えているジルコン研究所の管理も担っている。
その彼女からの報告だ。「ブタちゃん、うたう、へいき、うなる」と。
ブタちゃんが歌うなど、聞いたことがない。ただこれは見過ごせない連絡だった。
ブタちゃんの精神と巨大兵器が連動しているのであれば、引き金を引くのはピーカブーだ。ピーカブーの音楽は栄光の国グローリーを救う最初の一手になりえる。
(そのはず……いや、もはやそれに賭けるしかない)
ウィリアムは拳を握り締めた。
民主主義を推し進め、武芸から遠ざかって発展してきたグローリーには今、大災の竜に対抗できる人材がいない。だが、だからこそ。
(兵器があれば)
太古より人は知恵により、自身の膂力不足を補ってきた。ならば今も、先人に倣うだけだ。
「ピーカブー、あなたは引き続き、ブタちゃんと共にいてください。あなたとブタちゃんに僕は賭けます!」
「ハッハッハッハ、任せておけ! すべてはこの……おおおっ!?」
そのときだった。
グワンと大気が鳴動した次の瞬間、凄まじい轟音が空から大地を貫いた。
炎をまとった巨大な石は勢いを落とすことなくグローリー領内に墜落し、激しい地響きが国を襲う。
「いったい何が……、ウィリアム、確認を!」
「はい!」
言葉少なにグリードと意志を伝達し、ウィリアムは自身の耳飾りに触れた。
「――あまねく民の声を、僕に」
コウ、と彼の耳飾りが光を放つ。
それは彼のジルコンギア。遠く離れた場所にいる「人の声」を余さず捕らえ、ウィリアムに伝える。
ときを同じくして、町の辺境で兵士が叫んだ。血にまみれ、絶望に染まりながらもなお、彼は命を懸けて自身の役目を果たす。言葉で国の趨勢を決めてきた栄光の国グローリーの民らしく、彼の最期の叫びは命乞いでも、悲鳴でもなかった。
『隕石落下! 隕石落下! 穴から……穴から多数の怪物出現!! 牛の頭に人の肉体……わ、我々では、敵いません! 人では! 勝てない!!』
必要な情報すべてを伝え、声は断末魔に変わり……そして沈黙した。
「至急、議会を開きます! 議員たちに通達を!」
ウィリアムはグリードに叫び、走り出した。
――ここに、栄光の国グローリーの百年続いた平和が崩れた。