NOVELS 小説
- 第2話以降
第28話
女王の悩み
勇気の国ブレイブの王城にて、女王シャイン・ブレイブは深く沈黙していた。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう)
多くの情報を取り寄せた。各地を旅して情報を集める宮廷道化師のミルムからも、国内に残ったメテオランテ・エアロの面々からも。
それを元に、今後採るべき行動を決めるべきなのに、気づくと益体もない焦りばかりが頭の中を回っている。
「どうしよう」
目の下のクマは色濃く、手足の先はずっと冷たい。まだ秋口だというのに、額にも冷たい汗がにじみ続けていた。
「どうしよう」
「陛下、少しお休みになっては」
尚書官として王に仕えているエテボ・ブレイメンが控えめに声をかけた。実直な男だ。以前、フリーダムとの同盟を結んだ際、双方の権利を記した条文を用意したのも彼である。
文官ではあるが執務室にこもりきりというわけではなく、彼は国内の催事や会合、イベントにも足を運ぶ。国を想い、私欲を排し、「公」に従事する彼に対する重鎮たちの信頼は厚い。エテボ自身、その想いに応えたい気持ちはあるだろう。
……ただ、こんな状況になるとは思ってもみなかった。現状を打破するにはいささか荷が重い、と下がり切った彼の眉が言っている。
「ええと……そう、この通り、陛下と休みたい者たちもおりますし」
祈りを込め、彼は使い魔を生み出せるジルパワーを発動させた。ポン、と軽やかな音を立て、執務室に白うさぎと黒猫が現れる。白うさぎはほのかに光り、黒猫の尾は二本に裂けているところからして、これが実在している動物でないのは明らかだ。
「あ、もふもふ」
つかの間、シャインは我に返り、両脇から膝に飛び乗ってきた二体を撫でた。
その顔が少しだけ緩む。だがすぐに不在の者たちを思い出したのか、その顔が曇天のように曇った。
「はああああ……」
「ああ、ダメだ……」
もふもふだけではシャインの気鬱を晴らせそうにない。
エテボが絶望的な思いで天を仰いだときだった。
「あらまあシャインちゃん、ひどい顔」
突然、執務室の扉が軽やかに開き、聞き慣れた声が飛び込んできた。
「アン……帰ってきてたの!?」
王立ビール工場の工場長、アンブローシアだ。少し前から彼女は市場のビール探求のため、旅に出ていた。隣国であるグローリーに向かうと知ったため、議長ウィリアム宛の親書を託したことは覚えている。
そんな彼女が帰ってきたということは……。
(あれから何日か経ってたんだ)
シャインはその事実を、ようやく自覚した。
記憶がないわけではない。昨日起きたことも、食事したことも、寝たことも覚えている。ただそのすべてが現実感を伴わず、常に悩んでいた記憶しかないだけだ。
「快適な旅でしたわ。ちょうど帰る途中だったメテオランテ・エアロが運んでくださいましたの。向こうで面白い出会いもありましたし、目的もきちんと果たしましたわ」
大きなバスケットを腕に下げ、彼女はつかつかとシャインの執務机まで歩いてくる。
途中で、しっしっ、と手を振って、エテボ・ブレイメンを追い払うのも忘れない。親友との貴重なひと時に、無粋な役人は邪魔なだけ、と言いたげだ。
彼女の意図を正確にくみ取り、エテボは苦笑しつつも一礼し、執務室を後にした。
「あ、ありがとう!」
ずっとついていてくれた仲間の背中に、シャインは声を張り上げた。エテボが振り返り、嬉しそうに深く頭を下げる。
扉が閉まるのを待たず、アンブローシアは机にバスケットをどんと置き、中身を次々と取り出した。
猪の腸詰である絶品ボアソー、グリフィンTボーンステーキ、グリフィンのふわふわ綿菓、サイコロ状にカットしたりんご飴を詰めた採掘プリン……。
どうやって収めていたのか、不思議になるほどの量だ。
「これらは来る途中で購入してきた料理ですわね。そしてこれがお土産」
「……お土産?」
「グローリーの特産品である『虹のはちみつ』。……そしてこちらがグローリーのオレンジを取り入れたあたしの最新ビール『オレンジビール』ですわ」
「うわあ」
アンブローシアが机に置いた瓶を開けた瞬間、みずみずしい柑橘の香りが室内にはじけた。そのさわやかな爽快感で頭の中にわだかまっていたモヤが少し晴れる。
「まだ試作段階ですので、市場に出すのはとてもとても……。ですが、今のシャインちゃんにはいい気付け薬になるのではなくて?」
「う……うん」
離れていても、アンブローシアにはお見通しだったのだろう。不甲斐ないところを見せたとしょぼくれるシャインの額を、アンブローシアは長い指でツンとつついた。
「とにかく、早くご賞味なさいな。あたしの『オレンジビール』を最初に味わって、目いっぱい感動するのはシャインちゃんの役目ですのよ?」
「うん……!くぅ~~、美味しい!」
ごくりと一口飲んだ瞬間、甘酸っぱいさわやかさが口の中ではじけた。激ヤバビールのようなパンチはないが、その分飲みやすく、いくらでも喉を通っていく。これはビールが苦手な民にも幅広く受け入れられそうだ。
次はこれ、さらにこれ、とどんどん目の前に料理を並べられ、シャインは言われるがままにそれらを口に運んだ。食欲は全くないと思っていたが、体は栄養を欲していたのだろう。アンブローシアに勧められるまま、料理が腹に収まっていく。
旅の思い出をのんびり語るアンブローシアに耳を傾けつつ、シャインは食事を終えた。
「はぁ……ご馳走様」
こんなに食べられないと思っていた料理がすべて消え、シャインは内心、苦笑した。自分の体が発する警告にこれほど気づかなかったとは。
シャインが食事を終えるまでは消化に良い話だけをしていたのだろう。
改めて、アンブローシアは口調を改め、話しだした。
「グローリーの方々は理知的でしたわ。同盟国ではないものの、あたしの言葉に耳を傾けてくれましたもの」
「よかった」
「『ジェルジオの槍』とエアロの精鋭の消失に関して、議長も案じてくださいましたわ。かの国の保持しているThe Holeや竜、そしてかつての英雄や神話に関しての情報を共有してくださると約束してくれました」
「……うん」
「フリーダムとピースフルにも書簡は出したのでしょう?リーチ様も今、ノル・ヴェイルから大急ぎで戻ってきている……。きっとミスターメテオランテ様もロゼッタ様も、そして他の皆様もすぐ見つかりますわよ」
「ありがとう。そうだよね。簡単にやられるような人たちじゃないもの」
「ええ、この国の誇る精鋭たちですわ。女王が信じなくて、いったい誰が信じますの?」
優しく言い聞かせるようなアンブローシアの声が心地いい。
彼女のように、シャインが動揺したときは駆けつけてくれる仲間がいる。何より、シャインの決定を信じ、命を懸けてくれた者たちがいる。
ミスターメテオランテもロゼッタも、きっと元気で生きている。ただ不測の事態が起こり、身動きが取れなくなってしまっただけなのだ……。
「絶対助け出すよ。待ってて……!」
シャインは改めて、きつく拳を握りしめた。
その思いが最良の未来を引き寄せたのだろう。
数日後、シャインの元にピースフルの占い師アステルから返書が届いた。
シャインが強く生存を願う者たちは今も生きていると占いに出たこと。その所在地を占ったところ、The Holeに向かう途中にある危険海域……羅針盤も狂う「魔の海域」である可能性が高いこと。
救出は困難との見方が強まる中、シャインは大胆な行動に打って出たのだった――。