NOVELS 小説
- 第2話以降
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第話
女王からの感謝
平和の国ピースフルの聖殿にて、占い師アステルはほう、と小さく息を吐いた。
手元にはたった今届いたばかりの親書がある。そしてそのわきに、片手に載るほど小さな箱も。全面に美しい装飾が施され、蓋には勇気の国を象徴するような獅子が彫られている。
「ほほうっ。その顔を見るに、よいことがあったようですねっ」
颯爽と現れた女性、英雄騎士団長のオリシスが快活に言った。頭部すべてを覆う仮面をつけた彼女だが、声から喜怒哀楽が読み解ける。常に全身に生気をみなぎらせているものの、今日は普段以上に元気がいい。同僚の気力が満ちているのは、アステルにとっても僥倖だ。
「君のほうも調子がよさそうで何よりだよ、フェアリス」
「ふふふん、今朝もみっちり鍛錬してきましたから。マッスルはすべてを解決するのですっ」
フェアリスと本名で呼んだアステルに対し、オリシスもまた上機嫌でうなずいた。
愛情深く、騎士団の団員たちを大切にする彼女は、彼らとのマッスルコミュニケーションを欠かさない。元は医療の専門家だったが、騎士団の長を継承する際、団員との交流こそ重要と悟ったのだろう。今ではともにトレーニングをし、深く語らい、彼女は騎士団員との絆を深めている。
そんな彼女だからこそ、昨年の秋に突如出没した鞭打ち苦行者の集団とも対話の道を試みたのだろう。
英雄騎士団は彼らを受け入れ、己を罰することのみを救済と思い込んでいた彼らに新風を吹き込んだ。肉体を鍛え、栄養を取り、知識を蓄えることで彼らの精神は癒えていき、やがて屈強な「鞭打ちマッスル騎士団」として再生したのだ。
これは「治療方法が判明している傷病を癒やす」オリシスのジルパワーではない。他者を理解し、共に手を取り合おうとする彼女自身の気質の勝利だ。
「騎士団の熱気は日に日に高まっておりますともっ。出陣の号令を今か今かと待っていますよっ」
「頼もしい限りだ。……ああ、その騎士団の中には『例の彼ら』も?」
「ええ、仲良くやっていますっ」
抽象的なアステルの問いに、オリシスは楽しげに即答した。
先日、ピースフルを訪れた客人たちの話だ。
同盟国であるグローリーから、かの国が誇る音楽家、ピーカブーが入国してきた。彼は民の愛情を一身に受けるブタちゃん数匹と、国内に出現した鞭打ち苦行者を連れて現れた。
もとより、その提案はピースフル側が行ったものだ。グローリー国内でも持て余しているであろう苦行者を受け入れる、と。
今では、どちらの国に現れた苦行者たちも皆、一丸となって汗を流している。両国合同の「鞭打ちマッスル騎士団」の誕生だ。
「同盟とはいいものですねっ。今まで噂でしか知らなかったピーカブー殿の演奏は素晴らしい。我が国が誇る音楽家フィオナ・リンウッドとの共演には連日、人が押しかけておりますよっ」
「なんと」
魔導と作曲を組み合わせ、光の魔法を体現するフィオナの音楽はグローリーの財産の一つだ。音楽を通して世界中の人々を癒やしたいと願う彼女の奏でる音は曲のジャンルを選ばない。ピーカブーとの共演もまた、刺激に満ち溢れた音楽会になっていることだろう。
「ぜひ一度、あなたもご覧くださいっ。しかも、それに合わせて踊るブタちゃんの愛くるしさときたら……。わたしも思わずメロメロですっ」
「めろめろ……」
「それに、お土産にいただいた『ブタちゃん饅頭』もまた絶品でしたっ。ほんのり甘くて、ふかふかの皮。頬張れば、中からは熱々でとろける甘い餡がとろーりと……。はぁ、アステルはもう召し上がりましたかっ?」
「いや……」
「それはいけないっ。近々、お持ちいたしましょう。ふふふ、あまりにもおいしかったですからね。国内でも似た商品が次々に開発されているのです。広場に、いくつか屋台を見かけませんでしたか? あれはすべて、ブタちゃん饅頭の類似品ですっ」
「そうか、最近屋台をよく見る気がしたが、あれが……」
熱量の高いオリシスを前に、アステルは思わず苦笑した。
現状、ピースフルを取り巻く事態は深刻だ。教皇の自我は日に日に失われ、The Holeに行かなければ、もはや収拾はつかなくなっている。危険な地だと分かった上で……教皇の身を守り切りながら、その記憶を取り戻すことがどれだけ困難を極めるのかもわからないままで。
それでも、こうした「よい」変化もある。これまで交流のなかった国から来た客人はピースフルに活気をもたらした。新たな変化が世界にとって、よい追い風になることを祈るばかりだ。
「友との出会いに感謝しよう。君たちの力を存分に振るう機会もすぐに訪れるだろうしな」
アステルはテーブルに置いていた親書をオリシスに渡した。ブレイブの女王からだ。
先日、彼らの国が向かわせた調査隊が突如として消息を絶ったそうだ。大海原での追跡は困難を極め、生存確認すらもできない……。そんな状況を打開しようと、シャインはアステルに占いを依頼したのだった。
他国の問題ではあるが、アステルとしてもこれは受けざるを得ない問題だった。
The Holeに向かう途中のロゼッタたちが消えたということは、航海の途中に何かしらの危険が待ち受けているということだ。この先、教皇をThe Holeに連れて行かなければならないピースフルにとっても、何があったのかはどうしても知っておきたい。
ロゼッタ隊が情報を持ち帰ってくるか否かを、アステルは占った。
最初に示されたのは「もがれた片翼」。……犠牲は出ている。それも多数。
しかしそれでも、「強く脈打つ信念」の表示。彼女たちの意思は今もなお、消えていない。
さらに占いを続けることで、アステルはロゼッタ隊の生存と、彼女たちがいるであろう海域の場所を導き出すことができたのだった。
「海域が分かったとはいえ、海は広い……正確な位置を割り出すためには、さらにしっかりとした調査が必要になるだろうね」
「ええ、見つかることを祈りましょうっ。……して、その小箱は?」
オリシスがアステルの手元に目を止めた。
ブレイブの女王が送ってきた、最上の「礼」だ。彼女にとって、アステルの占い結果がとても喜ばしいものだったことがうかがえる。
「世にも珍しい飴だそうだ。グリフィンの涙を混ぜた、女王の作った『勇気の飴』……。得られた涙が少量ゆえ、飴も二つしか作れなかったそうだが」
アステルは箱の中から、二本の棒付き飴を取り出した。
赤色と白色の部分が美しい模様を描いており、棒には「グリフィンの気高き勇気」と刻印されている。
「女王の飴には最初から、舐めた者の勇気を増幅させる効果があった。この飴は、それが一層強まるそうだよ」
「ふぅむ、抽象的ではありますね……っ。どれほどの効果があるのでしょう?」
「舐めてみるかい?」
「ご冗談をっ! 私は結構ですっ」
よほど慌てたのか、普段以上に大仰な動作でオリシスが首を横に振る。あまりにも勢いがよすぎたせいで、深くかぶった仮面がずれたほどだ。
ややあって気を取り直し、彼女は咳ばらいを一つした。
「しっかり取っておくのがよいでしょうっ。貴重な飴です。死を願わずにはいられないほどの絶望から立ち直る者がいるかも」
「……それは呪いの類だろう」
アステルは思わず苦笑した。
だが同時に、ふと思う。
もしもオリシスの予想が的を射ていた場合……心からそれを必要とする者はいるかもしれない。
もしも教皇を失うことがあれば、アステルは自分がどうなるのか、即答できない。その未来は十分予期しているのに、あまりの恐ろしさに今まで、占うことすらできずにいるのだ。
実際に教皇を失えば、自分はすべてに絶望し、生命活動を止めることを願ってしまうかもしれない。この先に大戦が待ち受けていることを知ってもなお。自分の占いが必要になる局面があるかもしれないと理解していても。
神が死ぬ、というのはそういうことだ。
アステルにとって、自他の魂そのものが意味をなくす。
「……囚われてはなりませんよ、アステルっ。残された家族が悲しみます」
大真面目に忠告するオリシスに、アステルはあいまいにうなずいた。彼にも血のつながった兄はいる。無論、とても大切だ。兄がアステルの身を案じ、常に導こうとしてくれているように、アステルもまた、彼のために平和な世を作りたいと願っている。
(だが)
それを凌駕する想いがあるということを、アステルは知ってしまった。
いや、想いという言葉ではとても言い表せない。
魂が救済される幸福。同時に、魂を掌握される感覚。
アステルが教皇に捧げる信仰心は、肉親の情を凌駕する。もはや理性では止められない。
「使わずに済む日が来ることを祈るしかない」
アステルは小箱を手に、小さくつぶやいた。自分でも滑稽なほど、その声が震えていると知りつつも、そう祈らずにはいられなかった。