NOVELS 小説
- 第2話以降
第21話
鞭打ち苦行者
「んんんーっ」
「んーっ、んむーっ!」
湯治場の方から幾重にもうめき声が唱和している。
(まあ、そうですやろなあ)
普段よりもたっぷり煎じた薬草を入れた温泉だ。とろみのついた緑色で、匂いはキツく、傷にもしみるだろうが、効果のほどは保証する。渋々ではあるが、リブルが彼らの手当てをしている。鞭による傷もすぐに良くなるだろう。
「ほんま、無茶と勇気は違います」
宿屋の主は悩ましげなため息をついた。室内は客商売しているとは思えないほどボロボロだ。板壁は腐食してところどころ黒ずみ、窓は風雨にさらされて曇っている。暖炉は長らく使われた形跡がなく、埃をかぶった蜘蛛の巣が張られていた。
廃墟にも等しい風情だが、意外にも床に埃は落ちていない。人の出入りが頻繁な証だ。この日も巡礼の帰りに立ち寄った英雄教徒が数名、青ざめた顔で隅の方に縮こまっている。
彼らのために二階の客室を開放し、避難させる。それが終わり、女将は改めて一階に降りた。
「大体ワレラ、なんなん?お客が怖がってもうてたまりませんわ」
「我々はぁ!偉大なる神のぉ!意思をぉ!受け取りぃ!!」
「やっかまし」
正面で正座する男女を前に、女将はツンとおとがいをそらした。外で自らを鞭打っていた男女を何組かに分け、順番に湯治をさせた後で治療もした。女将の行動で毒気を抜かれたのか、治療を終えた男女はやや落ち着いた様子だった。鞭は手放さないが、少なくとも会話はできるようになっている。
「落ち着いて話しぃや。ワレラ、ここで何してたん?」
「終末の足音が聞こえぬ哀れな子羊よ!」
「見よ、この世界の終わりが近づいている!」
「悔い改めよ、我々の罪を認めよ!」
途端に口々に叫びだす連中に辟易する。だが、続く言葉に宿屋の女将は眉をひそめた。
「ジルコンを捨てよ!今すぐジルコンを捨てよ!」
「大災はジルコンを使った人間への罰であり、戒めなのだ!」
「……詳しく話しぃ」
「俺は見たのだ!ジルコンだ!すべての元凶はジルコンなのだ!!」
「…………」
女将の眉間に刻まれた皴がますます深くなる。
つい先ほどまでは訳の分からない思想に取りつかれた異様な集団だと思っていた。
しかし今、彼らの目には明らかな怯えが見て取れる。
何か、彼らが心から恐怖することが起きたのだ。それにより彼らはそれまでの価値観をすべて破壊され、この極端な思想に染まった。
(一体何が)
……尋常ではないことが起きている。間違いなく。
***
「……いったいどうなっているんですか」
栄光の国グローリーで、議長であるウィリアムは頭を抱えた。
議長室にはこの日、招致した女性が一人いる。ふわふわとなびく灰色のショートボブで、ドクロ型のアイマスクで目元を完全に覆っている。その風体は異様だが、彼女の雰囲気はどこまでものどかで、ぼんやりしていた。
「いきのこり」
グローリーにある巨大複合施設サンクチュアリの支配人、マスターグラシアラは自分の考えを一ワードに凝縮して相手に伝えることができる。音として聞こえているのは一単語だが、その奥に潜む情報は膨大だ。
サンクチュアリは国内最大の娯楽施設だ。テーマパークや国内で愛されているブタちゃんの育成場、図書館など市民が楽しむための施設が詰まっている。
そこに先日、異様な集団が現れた。行楽に訪れた者たちの前で、その集団は突如として自身の体を鞭で打ちはじめたという。血しぶきと悲鳴が響き、楽しいはずの施設は一瞬にして恐怖に満たされた。
その場で彼らを投獄しろという声もあったが、そこはマスターグラシアラの判断で保留にした。彼らにも言い分があるとして、ウィリアムに連絡を取り……そして議会にて、代表者は己の言い分を声高に語り始めたのだった。
『私は歴史の真実を知った者なり!すべては間違っていた!最初からすべて、過ちだったのだ!』
今、誰もが信じている歴史はこうだ。
――A.D.1543、彼方から「石」が落ちてきた。
石は世界を穿ち、巨大で深い穴が生まれた。
穴からは大災が湧き出し、世界は空虚な姿に変貌した。
人々の歴史は止まろうとしていた。
その時、大地にジルコンの鉱脈が生まれた。
世界に選ばれた者たちは、ジルコンにより「特別な力」を手にした。
彼らは大災を祓い、伝説となった。
伝説の英雄たちは世界を穿つ穴へと消えた。
だが、議会の場で、男はこれを偽りだと言った。
『大災が起こる前から、すでにジルコンはこの世界に存在していたのだ!しかしあれは人間には過ぎた力だった。身に余る力に魅了された愚か者どもに鉄槌を下すため、大災の竜は人間の前に現れたのだ!』
『…………』
『原初の罪を犯した者はまがい物の神と宗教を打ち立て、今やピースフルの教皇を名乗っている。この間違った歴史が続く限り、大災は決して終わらない。教皇を説得し、ジルコンを捨てさせよ!拒絶するのであれば、もはや滅するも致し方なし!終末はすぐそこまで迫っている!!』
男は議事堂の床を叩き、喉の奥から血が噴き出すほどの声で叫んだ。
『我々もまた罪人だ!生まれたときからジルコンに触れ、その穢れた力を振るってきた。この魂を浄化するためには、罰が必要なのだ!自らを罰し、罪を洗い、来る救済の慈悲にすがることしか、我々にできることはない!』
男は自分たちを「鞭打ち苦行者」と称した。ジルコンのある世界に生まれ、ジルコンの恩恵にあやかって生きてきたこと自体を罪だとし、自身を罰しているのだと。
普通に考えれば、男の言うことは妄言でしかない。大災の竜と意思疎通をした者はいないのだ。何を考えているのか、誰にも分かるはずもない。
「……ですが」
すべてが嘘だと言い捨て、苦行者の発言を無視してもよいものだろうか。
大災の竜がジルコンを使う人間を罰する、というのは言い換えれば、「大災の竜はジルコンのあるところに現れる」ことと他ならない。もしそれが本当ならば大発見だ。
「確かめる必要がありますね」
その答えを知る者は一人しかいない。百年前、大災の竜を倒した英雄の一人……平和の国ピースフルの教皇だ。
鞭打ち苦行者が語るように、本当に百年前からジルコンが存在していたのかどうかが分かれば、彼の言葉に信ぴょう性が増す。
ウィリアムはつい先日同盟を結んだばかりの国に親書を飛ばした。
***
世界各地に鞭打ち苦行者が現れた。
当然、勇気の国ブレイブも例外ではない。
女王ブレイブ・シャインの招致に応じた苦行者は女王の威光にひるむことなく、大声で訴えた。
「私はノル・ヴェイルの生き残り!あの日の悪夢は今もまざまざと思い出せます。あの日、突如として現れた大災は襲う者を選んでいました」
「なんですって?」
「ジルコンです!竜は鉱物やギアを持つ者を嗅ぎつけ、続いて溶鉄のブレスを吐きました。竜はジルコンを狙っているのです!だからあの町が狙われたんです!」
「意味がよく分からないのだけれど……」
「因果応報です!『あんなこと』を続けるから天罰が下ったんです!」
「あんなこと?」
シャインが城に招いた男は数か月前、大災の竜に襲われたフリーダムにある辺境の街「ノル・ヴェイル」の生き残りを名乗った。その言葉に嘘はないようで、全身に負った火傷跡は生々しく、目は血走っている。
「ノル・ヴェイルの領主は秘密裏にジルコン採掘を行っていました。彼に従う民もまた、ジルコンを与えられていたのです」
「どういうことです?フリーダムには目立ったジルコン鉱山がなかったはず」
「むろんコミッショナーにも他の勢力にも内緒です。あの無法地帯でうかつに自分の資産を明かせば、身ぐるみはがされますから」
「……なるほど」
「富を独占していた罰が当たったのです。ジルコンは、人間には過ぎた力……勇気の王ブレイブ・シャイン、この国を救うためにジルコンをお捨てなさい。王が自ら破棄すれば、国民もあなたの勇気に続くことでしょう」
「…………」
何もかも、つい先日同盟を結んだフリーダムのコミッショナーからは聞いていない話だった。ただノル・ヴェイルの領主が内緒にしていたのならば、コミッショナーが隠ぺいしたとも断定できない。統治者のいない国だからこそ、こういうことは起こりうる。
今、最も重要なのは鞭打ち苦行者からもたらされた情報だ。「大災の竜がジルコンを狙う」ことが本当であれば、自分たちを取り巻く状況は大きく変わってくる。
「確かめないと」
シャインはうめいた。
ほぼ同時刻、グローリーで議長ウィリアムがつぶやいたのと同じ言葉を。