NOVELS 小説
- 第2話以降
第7話
脅かされる平和
信念と信仰により築かれた秩序と平和の国ピースフル。この地は百年前、世界を救った英雄たちを教祖とする「英雄教」の総本山だ。
国民は敬虔で信心深く、その清らかな心は国の発展にも影響を及ぼしている。整然と整えられた街並み。奇跡が発現したと言い伝えられている記念碑。数々の伝説や逸話が残る聖地。国の中心に作られた大聖堂は品行方正な神官たちによって維持され、連日のように大勢の信徒が祈りをささげている。
「急に呼び出してしまってすまないね」
大聖堂に作られた謁見用の部屋にて黒い長衣をまとった青年が穏やかに言った。繊細な刺しゅうを施された黒衣は決して華美ではないが、生地は厚く、青年の地位の高さを表している。
銀色の髪を頬の当たりで遊ばせ、彼は手にした杖を離すことなくソファーに座った。
「どうにも無視できない『結果』が出続けているものだから、君の意見を仰ぎたくて」
「そういうことならお気になさらずっ!」
テーブルをはさみ、対面のソファーで女性が大仰な仕草で両手を広げた。こちらはフルフェイスの仮面をかぶり、甲冑に身を包んでいる。仮面の端からオリーブ色の髪の先が見えているものの、それ以外の情報は何一つ得られない。その高い声から、かろうじて女性だろうと察せられるだけだ。
それでも彼女の喜怒哀楽が分からない者はいないだろう。彼女は身振り手振りと声音を駆使し、誰よりも分かりやすく自分の感情を相手に伝える。
「アステル、あなたの言葉は耳を傾けるに値します。いつでも呼んでください。わたしもまた、ご報告したいことがありましたしねっ」
「ならば、先に君の話を聞こう、フェアリス」
アステルと呼ばれた銀髪の青年はあっさりと話の主導権を相手に譲った。二人の間に張り合うようなものは何もない。身分も序列も、この国ではすべて無用なものだ。
絶対的な存在である教皇が頂点に君臨し、その下にすべての民がいる。
「騎士団で何かあったのかい?英雄騎士団長の君には教皇様の予言通り、『新英雄』を捜してもらっているはずだけれど」
「そのことなのですっ。各地から寄せられる情報はわたしの元に集まる。先日、海辺の村から報告がありましてねっ」
「どんな?」
「村に物資を運んでいる商船が海で襲われたそうですっ。風と天候を読み、巧みに舟を操る少人数の海賊団に、巨大な商船が手も足も出なかったとっ」
「……それは物騒極まりないね。被害のほどは?」
「積み荷の大半が海に落ちたことですね。ですが死傷者はゼロのことっ」
「それは幸いだ」
熱量の高い英雄騎士団長<オリシス>、フェアリス・ナハティガルの報告に、アステルは淡々と返事を繰り返した。
彼女とは長い付き合いだ。人となりは心得ている。皆の前で演説することも多いからか、彼女の話はまとまっていてわかりやすい。このまま最後まで話を聞くことにしようと決める。
「実際、危うい状況ではあったようです。襲撃に動揺した商船が舵を切り損ねたため、船は転覆……積み荷と共に多数の船乗りたちも海に落ちました。ですが、それを海賊団の一人が救ったとっ」
「なんだって?」
「何度も海と海岸を行き来し、海に落ちた者たちを全員救出したそうです。現場は多数の渦が発生する海域……。その賊の働きがなければ、多くの命が失われていたことでしょうっ。……まあ、海賊団が襲わなければ、そもそもの被害が出なかったわけではありますがっ」
「それは確かに」
「賊は人命救助でへとへとになっていたところ、簡単に捕縛できたそうです。海辺の村で牢に入れたそうですが、大騒ぎしているようですよ。……教皇様に会わせろ、とっ」
「はぁ?」
思わず剣呑な声が出て、アステルは咳ばらいでそれを飲み込んだ。この平和の国ピースフルにて、教皇に継ぐ権力を有している者として、品位を欠く行動だった。
だがオリシスはそれをとがめたりはしなかった。アステルが教皇に心から心酔していることを、彼女もよく知っている。
「聞けば、フリーダム出身の女だそうですっ。そのままフリーダムに送り返すか、しっかり改宗していただいて我々の管理下に置くか……そのどちらでも構わないと思ったのですがね」
「大型商船を襲い、船が転覆した際は一人で大勢の命を救った、か……」
商船を襲う性根はとても許せるものではないが、窮地に陥った人々を救う行為は賞賛に値する。むしろ襲撃を行うという蛮行が、その後の行動を妙に際立たせていた。
「教皇様の告げた『新英雄』か……?いやしかし、他国の者か」
「教皇様は予言に際し、自国の英雄とは言わなかったじゃないですかっ」
身を乗り出したオリシスに対し、確かに、とアステルも考えを改めた。
「占ってみようか。その者が教皇様の告げた『新英雄』か否か」
「ぜひっ」
オリシスは即座にうなずいた。最初から、それを頼むつもりだったのだろう。
アステルは懐からカードの山を取り出した。その中から一枚取り出し、深呼吸を繰り返す。心を鎮め、精神を統一し……。
「真を示せ」
とん、と持っていた杖でカードを叩いてから、アステルはそれを指ではじき上げた。宙に浮いたカードは回転しながらひらひらと机に落ち、表面を衆目にさらす。
「これは……当たりだね」
アステルは先祖代々占い師の家系だ。多くの判断に占いを活用する際、カードを使う。普段は決まった配置にカードを並べ、その組み合わせと実際に判明している情報を組み合わせて真実を導き出すのだ。
だがその占いが「正」か「誤」を問う二択の場合、彼は決して外さない。ジルコンギアである占術の杖でジルパワーを注ぎ込んだ占い道具は必ず正解を導き出す。天命の理を問う力であるがゆえに多用はできないが、その効果は絶大だった。
示された結論に対し、二人は大きく息を吐いた。
「大至急、その賊を大聖堂に連れてきてくれないか?教皇様に会わせるかどうかは僕がしっかり取り調べてから判断するよ」
「委細承知っ」
オリシスはうなずき、まなざしをまっすぐ、アステルに向けた。フルフェイスの仮面越しでも、その視線ははっきりとアステルに届いた。
「わたしの話は以上です。あなたの話を聞きましょうっ」
そうだった、とアステルは苦笑した。衝撃的な話だったためうっかりしていたが、元々は自分も用事があってオリシスを呼び出したのだ。
「先に君の話を聞いておいてよかった。希望の光が見えたからね」
「何か良くないことが起きたのですかっ?」
「よくないことが起きると分かった……かな。何度日を空けて占っても、ずっとこのカードしか出なくてね」
テーブルの上に差し出したのは「破滅」「破壊」を示すカードだ。連日、どの状況下で占っても、結果は平和の国ピースフルにとって不吉な暗示を示し続けた。
「…………?」
と、そのときだった。
ふいにアステルたちは奇妙な感覚を覚えた。聖堂内にいてもなお、ふと空気が変わったような……。
「むむっ、なんですかっ?」
オリシスが勢いよく天井を見上げた。その先の、空を見通すように。
徐々に空気は密度を増し、ぐにゃぐにゃと波打つように振動を始めた。――そして。
「た、大変です、アルフェラ!ピースフル上空に!!」
悲鳴を上げて室内に駆け込んできた神官がアステルの二つ名を叫ぶ。アステルはオリシスと同時に部屋を飛び出した。回廊を駆け、中庭から空を見上げる。
「な……!!」
そして、見た。
巨大な「石」が光と炎をまとって空から落下してくるのを。
――ドオオオオン!!
そして大地が轟音を立てて鳴動した。
「どこに落ちた!?」
「オベリスクの方ですっ!」
英雄の丘は平和の国ピースフルにて、信仰の対象だ。百年前、大災の竜の犠牲となった人々の魂を鎮めるため、慰霊碑であるオベリスクがそびえたっている。そしてその周りには、この百年で息を引き取った人々の墓地が作られていた。
(巨大な石……)
まさか、という思いが胸を貫く。
空から降ってくる巨大な石といわれ、百年前の神話を連想しない者はいない。空を割り、海を二分し、大地をえぐったおぞましい厄災。その大穴から現れた大災の竜に、世界は一度滅ぼされかけたのだ。
「至急、確認に向かってください!我々は教皇様の元へ!」
神官に素早く指示を与え、アステルはオリシスと共に大聖堂内にある神殿の方へと駆けた。
そこに、この国の象徴がいる。百年前に大災の竜を討ち、The Holeに姿を消した英雄……その一人が。
ジルコンを体内に埋め込んだため、凄まじいジルパワーを放つ一方、代償として彼女は歳を取らず、人としての感情も手放した。
――ジルダーリア・サラII世。
無垢な女性をそう呼ぶ者はもはやいない。生きる伝説「教皇」として彼女はこの平和の国ピースフルの象徴となり、英雄教の神になった。
教皇を失えば、この世界は滅ぶも同然。
アステルたちは命を賭し、その存在を守り抜かなければならない――。