KONAMI

NOVELS

ジルコン年代記

20

異様な訪問者たち

異様な訪問者たち

平和の国ピースフルの修道院図書館にて、一人の男性がうろうろとフロアを歩き回っていた。

室内の調度品は質素だが、きれいに磨かれ、丁寧に使われてきたのが見て取れる。窓には曇り一つなく、床にも埃一つ落ちていない。棚に収められた書物の量は膨大で、壮観の一言に尽きた。

「修道院長<プレア>、少し落ち着いてください」

壁にはジルコンの粉を用いた灯りが等間隔に設置され、広々とした館内を優しく照らしている。そんな館内を動き回る影を見かね、控えていた修道士のテラーが助言した。

ハッと我に返ったように男性は足を止める。分かっている、とうなずいたものの、少しすると再び彼は館内を歩き始めた。

「何事もないといいが……いや、あの男に限って、何かあることはないだろうが」

脳裏に浮かぶのは教皇の意を受けて隣国グローリーに向かったアステルの顔だ。彼が不在時の今、国防の一端はプレアが担っている。

真っ白な頭巾をそり上げた頭に巻き付け、目元の涼しい男性だ。修道服に身を包み、胸元には英雄教のメダイが揺れている。

プレアの称号を授かる彼はアステル同様、教皇を心から崇拝していた。アステルが大使として国を離れる際、後を託したのもそれが理由だろう。信じてもらえていることに感謝しつつ、プレアの心労は日増しに色濃くなるばかりだ。アステルのいない間、教皇になにかあったら、と思うと、夜もあまり眠れない。

「早く帰ってこないか。何をもたもたしている」

「プレア……」

「厄介ごととはこういうときに起きるものだ。歴史がそう証明している」

「そんなこと言っていると、本当に実現しそうで怖いです。万が一にもそんなことはないと思いますが……」

「た、大変です、プレア!!至急ご相談したいことが!」

テラーがそう言ったとき、新たな修道士が慌てた様子で図書館に駆け込んできた。どうした、とプレアが声をかける前に、入ってきた男は困惑と焦燥が入り混じったような顔で告げた。

「その、よくわからないのですが……よくわからないことが起きており……」

「落ち着け。詳しく説明しろ」

「自身を鞭で打つ集団が『静寂の湖』のほとりを練り歩いているようです!!」

「…………」

……詳しく報告されても意味が分からなかった。

プレアとテラーは困惑し、思わず顔を見合せた。

***

「なんやおかしなことが起きてますなあ」

同刻、ピースフルの辺境にある「静寂の湖」のほとりにて女性がぽつりとつぶやいた。

森林に囲まれた、静謐な湖だ。対岸が望めるほど小さいが、湖面にはうっすらと霧が立っている。

水面は穏やかで、さざ波一つ立っていない。これは「今」に限った話ではない。嵐になろうが、地震が起きようが、この湖に波が立つことはないのだ。

湖の中央に立っているジルコンの柱が影響していると言われ、英雄教徒が身を清めるために訪れる場所だ。聖地巡礼の場として、長年人々に愛されている。

そんな湖のほとりに一軒、ポツンと宿屋が建っていた。廃墟かと思うほど荒れているが、崩れそうで崩れない微妙なバランスを保っている。

大切な巡礼地にもかかわらず、宿はこの一軒しかない。時々、第二、第三の宿屋を経営しようとする者も現れるが、皆、すぐに撤退してしまう。周囲の森林で生息する獣は湖付近や巡礼用の道には出てこないが、ひとたび人間が森に足を踏み入れれば、容赦なく牙をむく。巡礼用の道は荷馬車を入れられるほど広くもないため、仕入れの際は自力で森を踏破しなければならない。

それらの条件をクリアし、何十年も経営できる宿屋は稀なのだった。

「ほんまけったいやわあ。お客なら歓迎するんやけど、そういうわけでもないようやし……。むしろ今日帰る予定のお客も帰られへんやないの。困るわあ」

ほう、と悩ましげなため息をつくのは黒ドレスに身をまとった妙齢の女性だ。生花を飾った帽子を目深にかぶり、黒衣に黒い手袋をしている。

宿屋の主の本名を知る者はいない。彼女の素性を知る者もいない。

何十年もこの場にあり、老婆を見かけたという者と、妙齢の美女に雑な接客をされたという者がいる。どちらにせよ、宿屋の評判はあまりよくないが、それでも背に腹は代えられない、とこの宿を利用する巡礼者は後を絶たない。

そんな平凡な日々だったのだ。……これまでは。

(せやけどなあ)

宿屋の女将は愁いを帯びたまなざしを窓に向けた。宿の外には今、異様な景色が広がっている。湖の周りにいるのは二十人ほどの男女だ。性別や年齢、体型はまちまちで、これといった統一感はない。

ただ男性は上半身裸で、女性は薄手の上衣を羽織っているのみだ。そして全員、肌や衣服の色が変わるほど、血がついている。

森で獣の襲撃にあったわけではない。全員、荒縄を束ねた鞭を手にしており、自らの背中を打っているのだ。強度のある縄は日常的に使われるものだが、渾身の力で振り下ろせば人間の肌は容易に裂ける。

彼らが鞭を振り下ろすたび、ばっと周囲に血が飛び散る。鞭の色は麻色から赤黒く変わり、「ん-!」「んむー!!」と彼らが悲鳴をかみ殺す異様なうめき声が湖に響き渡っている。

「不気味やわあ」

宿屋に乱入し、女将たちに危害を加えることはしないが、得体のしれないモノに対する恐怖は刻一刻と増していく。

「マーマ、ワテがなんとかしてくる?」

宿屋で、主の下で働く少女リブルが眉をひそめた。細身だが背中に軽々と大剣を背負っている。ひとたび敵を前にすれば、彼女は風のように駆け、宿屋の主の敵を倒すだろう。

それが分かっているからこそ、宿屋の主は軽々しくうなずけない。突然こ襲い掛かってくる相手なら防衛する気概はあるが、彼らはむしろ自分自身を痛めつけているだけだ。非常に不気味だが、それだけとなると……。

「ワテがなんとかせな、あきませんなあ」

女将はため息をつきつつ、崩れかけた扉を押し開けた。