NOVELS 小説
- 第2話以降
第6話
自由の危機
ザ、ザン、ザザンと絶えず波の音が響いている。ここ、自由の国フリーダムに生きる民ならば、誰もがこの音と共に育つ。
四方八方を海に囲まれた島国だ。最新式の帆船で海峡を渡れば半日もかからずにオルフィニア大陸へ移動できるが、フリーダムの民は渡航にあまり興味を示さない。
王制を敷くブレイブも、教皇が導くピースフルも、議会ですべてを決定するグローリーも、フリーダムの民からすれば窮屈だ。人だろうと神だろうと法律だろうと、自分の上に君臨する存在を認めてたまるか、とフリーダムの民は今日も海に向かって吠えている。
「ハハハハハハ、今日も快晴快晴!」
分厚い雲が何層にも折り重なる空を見上げ、派手な身なりの男が哄笑を挙げた。上半身は裸で、直接赤いファーコートをまとった男だ。首元は重そうなゴールドアクセサリーで飾り、黒いシルクハットには何体ものぬいぐるみを縫い付けている。虹色のサングラスで目元を覆っているが、彼が楽しげに荒れた海を見つめているのは誰の目にも明らかだ。
「日に日に積乱雲が濃くなるなぁ。あの中から何か出てきそうだ!」
「不吉なことを言うんじゃねえよ、闘技場運営委員長<コミッショナー>」
隣で海を眺めていた青年が顔をしかめた。器用に髪を編み込み、小さなシルクハットを頭にちょこんと載せている。小柄だが、その身を覆うたけだけしさは歴戦の猛者に劣らない。強気な赤茶色の瞳に荒れた海を映し、青年はあきれたように首を振った。
「何かが出てくることを望んでいるようだぜ。享楽主義もいい加減にしやがれ」
「ハハハハハハ、言う相手は選んでる!ツッコミ待ちというものだ!」
「なら次から、張扇<はりおうぎ>でも持ち歩いてやる」
ちょうど交易でいいものを仕入れたんだ、と青年は大きなため息をついた。加工した紙で作った張扇は、モノを叩くとパァンとよい音がする。
「ご不満なら、舶刀<カットラス>を使ってもいいが?」
「ハハハハハ、われに向かってそんな口を利くのは、きみくらいのものだ、武の大番頭。結構結構!大いに結構!」
「そりゃどうも。俺に向かってそんな口を叩くのもお前くらいだぜ」
商家に仕える使用人頭のさらに頂点……大番頭はこの自由の国フリーダムにて、商家すべてを管理している人物だ。
彼は誰にも首<こうべ>を垂れない。
ただ、そばに控え、力を貸す者は決めている。
――闘技場運営委員長<コミッショナー>。
このフリーダムで誰よりも自由に生き、誰よりも娯楽を求め、誰よりも死に近い男だ。
「春先から今日にいたるまで、海が凪ぐ日はねえな。明らかに異常事態だ」
「物資はちゃんと各地にいきわたってるかね?」
「今のところはな。……ただこれ以上海が荒れれば、その限りじゃねえ。卓越した航海術を持った船乗りですら、航海には今までの倍、時間がかかってる」
「倍の時間がかかるなら、物価も倍になるな」
「この百年、海運ばっかり発達させてきたからな」
「ま、こればっかりは仕方ない。こんなことになるなど、誰も思わなかったのだから」
大災の竜が姿を消してから百年だ。破壊され尽くした文明を復興するため、人々は懸命に技術革命を繰り返してきた。
海に囲まれた島国のフリーダムでは航海技術を高めることで、自国を発展させてきたのだ。陸路を整備する手間と資金はすべて造船技術につぎ込んだ。どれほど海が荒れようと、今更海路を破棄するわけにはいかない。
「臨港市場街と間欠泉塔はまだ機能してる。中央の闘技場への輸送は陸路を使うが、ここに関しちゃ今までと変わらねえ」
武の大番頭が言った。
海運を活かすため、自由の国フリーダムの主要施設は海峡に面した港町に作られている。人々の娯楽の要でもある闘技場のみ、国の中央部に位置しているが、ここはコミッショナーの管理領域だ。問題なく物資を流通させる手はずは確保できている。
「問題は……」
「流浪街と獣人の里、よなぁ」
比較的波も穏やかな海峡側に比べ、大海に直結している土地は天候の影響を直接受ける。塩害で作物は育たず、津波が発生すれば最も被害を受ける土地だ。ゆえに、立場の弱い者が追いやられるようにして集落を築いている。
……そう、フリーダムは自由の国だ。何があろうと自己責任。力のない者から死んでいく。
それが自然の摂理であるとはいえ、弱者を完全に無視できるほどコミッショナーも達観しているわけではない。彼とて子供の頃は暗い地下図書館で過ごす子供だったのだから。
「ま、ま、ま、『ザンライ』のリーダーは流浪街に同情的だ。もう動いているのだろう?」
「ああ、春先の異変を感知したときから、積極的に支援を続けてる。彼らの体力が持つ限り、流浪街と獣人の里も維持し続けるさ」
「結構結構。時間稼ぎしてくれるヤツがいりゃ、だいぶ楽になる」
「お前は」
「当然、調査に乗り出す」
大海の先にあるものが何なのか……それはこの世界に生きる誰もが知っている。
――The Hole。
数か月前、その大穴から百年ぶりに大災の竜が現れた。そして名もなき小国を滅ぼした。
その小国はフリーダムの管轄地ではなかったが、交易はあったのだ。見知った顔も大勢いた。
そんな彼らが一夜にして消え去り、国が焦土と化したと言われ、動揺しない者はいない。せめて原因を究明しなくては、彼らも浮かばれないだろう。
「絶対絶対絶対、何かあるぞ!」
それは脅威であり、高揚だ。
神話の時代、大災の竜を退けた英雄たちが大穴に消えてから、誰一人として、中に入った者はいない。大穴の中はどんな状況なのか、何があるのか……。
(「識る者」は、いる)
だがその声をコミッショナーは聞けない。
かの者は平和の国ピースフルを離れない。
ならば自分で行くしかない。
その事実がコミッショナーを高ぶらせる。
「とっとと準備して、さっさと出航……おぉお!?」
そのときだった。
突然、空が奇妙な音を立てた。ヴァン、と分厚い雲の層がたわみ、振動し、その波動が大気を伝い、人々の体内を揺さぶった。
過去、一度も感じたことのない衝撃波。
一拍遅れ、分厚い雲に穴が空いた。一つ、二つ、三つ……四つだ。
「……石」
最初に呟いたのは武の大番頭だった。
百年前……神話の時代、人々の歴史を終わらせるために落下した巨大な隕石。それにも似た「石」が複数、地上に一直線に落ちてくる。
「伏せろおおおおお!!」
コミッショナーの絶叫が届いた範囲はどれほどだったか……。
次の瞬間、激しい地震が自由の国フリーダムを襲った。