KONAMI

NOVELS

ジルコン年代記

10

芳醇な作戦

芳醇な作戦

……ああ、ビールが恋しいですわぁ、とアンブローシアはため息をついた。頭に載せた三角帽子の下で、二つに結んだおさげ髪が悩ましげに揺れる。

勇気の国ブレイブの王立ビール工場は完璧な環境と設備を備えている。

ビール作り専用に栽培されている麦畑の良質な麦を収穫し、粉砕してから糖化槽で混ぜ合わせる。糖化した麦汁をろ過して過熱し、途中の過程で独自に調合したハーブを投入。その後一晩かけて冷却し、再びろ過してから今度は発酵桶で発酵を促すのだ。

そして丁寧に不要な酵母を除去しながら発酵を続け、木樽で熟成させれば完成だ。

できたビールを口に含めばハーブのさわやかな風味が口中にはじけ、人々を幸福な夢へといざなってくれる。

アンブローシアは長年、最高のビールを求めて試行錯誤を重ねてきた。腐敗防止に欠かせないハーブはその種類や割合により、味や香りに直接影響するし、閉じ込める炭酸の量も喉越しに影響する。

――誰もが感動し、誰もが魅了され、誰もが楽しく酔いしれる一杯。

それを求めてビール作りに没頭したところ、アンブローシアは王立ビール工場にて工場長<ガンブリックス>の称号を得た。今では、この工場のすべては彼女の管理下にある。

「とんでもないビールができたのよね」

アンブローシアはリンゴのオーナメントに変化したジルコンギアを使い、発酵速度を完璧にコントロールする。この力を駆使し、何度も試行錯誤を繰り返した結果、自分史上、最高傑作とも言える逸品を作り出したのだ。

工場内に作った貯蔵庫で今、そのビールは穏やかな眠りについている。

素晴らしい宴になるはずだったのだ。すべての木樽を割って、あふれる芳醇な香りに参加者たちから歓声が上がる。日が沈み、星が降り、再び空が空け白むまで、ビアガーデンには笑い声がこだますだろう。皆が笑顔で本音を語らい、アンブローシアはそんな彼らの笑顔を見ながら、少しだけその輪の一員になった気分を味わえたはず。

……そう、そのはずだったのに。

「あの、そのガンブリックス様……」

つい先ほど、さも当然という顔で滑空してきたメテオランテ・エアロの青年をじろりとにらむ。この状況は彼のせいではないが、誰かに八つ当たりをさせてもらわなくては、とても気持ちが収まらない。

「イヤ」

工場の中庭で、アンブローシアは腕を組み、ツンと顔を背けた。

「い、や!断固としてお断りいたしますわ」

「うぇえぇ……い、急ぐんですよう。ここのビールを市街のビアガーテンに運べと隊長のご命令で……。いえいえ、隊長の独断じゃありませんとも!我らが女王陛下の作戦なんです!今すぐ運ばないと、グリフィンの群れが街を襲って大変なことに……!」

「ですから、かわいいかわいいシャインちゃんはどこかしら?直接来ていただかないと」

「で、ですが陛下は城で指揮を……」

「アン!」

メテオランテ・エアロの青年が半泣きになったとき、上空から凛とした声が落ちてきた。見上げると、エアロ隊長であるミスターメテオランテと、その後ろに相乗りしている可憐な少女の姿がある。

「やっと来たわね、シャインちゃん」

普段鉄面皮と噂されているアンブローシアの顔がわずかにほころぶ。ミスターメテオランテのホバーボードから飛び降りたシャインが転がるようにして駆けてきた。

「で、伝令をもらって……!最新作のビールを渡せないってどういうこと?アンのビールがないと、作戦が始まらなくて……!」

「まぁまぁ、落ち着きなさいな。渡さないとは言っていませんわ。見ず知らずの殿方に大切な我が子をお預けするなんて、とてもとても……」

「今は人見知りを発動してる場合じゃないよ!」

「はぁん!?」

容赦ないシャインの言葉に、アンブローシアは頬をひきつらせた。常に気高く、優しい女王陛下だが、時々こうして人の「痛いところ」を突く。

(全く……思った通りだわぁ)

現れたシャインを一目見て分かった。凛々しい「女王」のふるまいをしているが、その内面は不安でガチガチだ。

もともとシャインは感受性が豊かで、素直な少女だった。よく泣き、引っ込み思案で、なんにでもおびえ、ひるんでいた。アンブローシアと最初に出会ったときも、シャインはパーティーのリーダーだったリーチの背中に隠れていたものだ。

そんな彼女が数多の経験を経て、女王になった。皆を背負い、国を守る王に。

もともと勇猛果敢な戦士でなく、なけなしの勇気を振り絞って立つ少女を王に選んだこの国をアンブローシアは愛しいと思う。民が選び、自分が選んだ彼女なら、きっとこの国をよりよい方向に導いてくれるだろう。

(だからこそ、ね……)

そう、だからこそシャインには誰よりも幸せになってもらわなければ困るのだ。いつも笑い、美味しいものを食べて、ぐっすり眠ってもらわなければ、アンブローシアの世界も色あせてしまうのだから。

「これはあたしの最高傑作なんですわぁ。最上の麦とハーブを使って、完璧な発酵速度で作り上げた至高のビール!突然現れた怪物に飲み干されてしまうなんてまっぴらごめんですの」

「でも……」

「で、す、か、ら」

部下に持ってこさせた木樽をどんと側に置く。えいやとふたを割り、黄金色の液体を大型の酒器<タンカード>になみなみと注いだ。

「最初の一杯はシャインちゃんに飲んでいただかないと」

「アン……」

「自分では気づいていないようですわね?ずっと泣きそうな顔をしてますわ。そんなに顔をこわばらせていては、成功するはずの作戦も苦戦するでしょうに」

「そ、それは」

「笑いなさい、シャインちゃん。あなたはこの国の光なのだから」

リーチもミスターメテオランテもアンブローシアも……今、王立美術館で事の成り行きを見守っているトップアーケイニストのオーガストも他の皆も、誰もがそれを認めている。

シャインの選択は国民の選択。そして国民の選択は彼女の選択だ。

民の思いを受け止め、シャインは一つ一つの物事を決定していく。

「ほら、一気、一気」

ぱんぱんと手を叩いて促すと、シャインは苦笑した。そして酒器を受け取り、あふれる香りをはいっぱいに吸い込み……。

「……くぅ~、激ヤバァ!!」

ぐびぐびとビールを飲み干し、シャインは感嘆の悲鳴を上げた。ポッと花が咲いたように頬が赤らみ、彼女を包んでいた空気がふわりと和らぐ。

そしてシャインの瞳に無数の星が宿った。きらきらと。

「すっごい美味しい!何これ、アン、どうやって作ったの!?今までもずっと美味しかったけど、これは群を抜いてるよ。もっと飲みたい……ボアソー食べたい!」

「うふふ、嬉しいわぁ。その反応が見たかったのよ」

アンブローシアは満足し、改めて部下に合図した。心得たように部下たちが貯蔵庫からありったけの木樽を持って来る。アンブローシアは目を丸くしているシャインやミスターメテオランテたちエアロの者にパチンとウインクを一つした。

「王立ビール工場を預かる工場長<ガンブリックス>作の『激ヤバビール』、ありったけ持っていきなさいな」

「アン、いいの!?」

「終わったら皆で酒盛りですわよ?二日酔いになってもいいよう、翌日の予定は空けておきなさい」

「……うん!ありがとう、行ってきます!」

ぱあっと顔を輝かせ、シャインはアンブローシアに抱き着いた。つい先ほどとは全く違い、いつも通りの「シャイン」だ。

心得たように、控えていたメテオランテ・エアロの面々が木樽を抱え、大空に飛び立っていく。

「礼を言う」

ミスターメテオランテがアンブローシアにささやいた。激ヤバビールを飲み干し、頬を上気させているシャインをホバーボードに乗せ、これから戦場に向かうのだろう。

(そうね)

ミスターメテオランテも、シャインが緊張で凝り固まっていることには気づいていたのだろう。それでもどうすることもできず、ただ彼女を鼓舞することしかできなかったことを悔いている。

その苦悩が手に取るように分かったが、アンブローシアはあえて触れようとはしなかった。代わりに、片眉を跳ね上げてみせる。

「あぁら、恥じることはありませんわ。あたしとミスターメテオランテ様では『歴』が違いますもの」

「歴?」

「シャインちゃんが酔いしれるのはあたしのビールを飲んだときだけ。シャインちゃんが心から笑うのもあたしのビールで酔ったときだけ」

「…………」

「シャインちゃんの親友の座は譲りませんわよ?心行くまでうらやんでくれて構いませんわぁ」

「……言いたいことは山ほどあるが、グリフィン討伐の祝勝会まで取っておこう」

複雑そうな顔をするミスターメテオランテの反応が心地よい。

彼はシャインを連れ、ふわりと宙に浮いた。立ち去る直前、挑戦者の顔で、高らかに宣言するのを忘れずに。

「祝勝会では飲み比べ勝負と行こう、ガンブリックス!オレだけじゃねえぞ。『到達』の四天獅殿も後に続くだろうさ」

「受けて立ちますわぁ。殿方が何人、束になろうと、あたしの敵じゃありませんもの」

蹴散らして差し上げますわ、と高らかに宣言するアンブローシアに笑い、ミスターメテオランテはシャインを連れて飛び立った。二人の会話の意味がよく分からなかったのか、上機嫌で手を振っているシャインにアンブローシアも手を振り返す。

「気を付けて……」

戦場に向かう友人たちに祈りをささげる。

彼女たちならきっとこの脅威に打ち勝ち、皆で生還してくれるはずだ。

その勝利を、願うしかない我が身が歯がゆかった。