NOVELS 小説
- 第2話以降
第38話
アギュウスの力
コミッショナーの船の甲板にて、しばらくロゼッタは横たわったままだった。自分の手を見つめ、首をさすり、めまいを振り払うように頭を振る。大きく呼吸し、小さくうめいた。まるで自分が「息をする生き物」であることを思い出し、安堵したかのように。
「ボクは、ロゼッタ……だよね」
「われは知らんが」
「呪われて生まれ、母を殺した。元凶の、大災の竜を殺す……そのために『ジェルジオの槍』を率いて、作戦を……作戦?」
ゆっくり、ロゼッタは自身の記憶を確認するようにつぶやいた。損なわれていたものを取り戻すかのように。
「そうだ。作戦を遂行してる途中だった」
「どんな作戦だったか、聞かせてもらっても?」
「大災の竜が、ジルコンを狙うかどうか」
「なるほど」
コミッショナーも思い出した。それは辺境の街ノル・ヴェイルにて、ブレイブ側が立てていた作戦だ。ジルコンギアを持つメテオランテ・エアロと、ギアを手放した者たちに分かれ、竜の動きを確かめるという危険極まりない作戦。竜騎士団「ジェルジオの槍」の中でもえりすぐりの精鋭と、改心した鞭打ち苦行者たちがギアを手放し、グリフィンにまたがって作戦に参加する。……ロゼッタはその総指揮を執っていたはずだ。
コミッショナーがノル・ヴェイルに到着した際、すでにロゼッタたちは出航したあとだった。それでもその場に残ったリーチから話を聞き、ロゼッタたちの勇猛さに感嘆と呆れを覚えたものだ。
国のため、民のため、ブレイブの民は自身の命を懸ける。己の人生を最優先に考えるフリーダムの民とは相いれない存在だ。
だからこそ、相手の生きざまを尊重する。ブレイブの民が選んだ勇気を。
(仲間は無事か、と聞くのは酷か)
だが、それでも問わねばならない。
「何が起きた」
端的に尋ねたコミッショナーを一瞥し、ロゼッタは深く息を吐いた。甲板に寝転がったまま、濃霧の立ち込める空を見上げる。
「ここ、霧が晴れないよね」
「ん?あ、ああ」
「……『あのとき』もそうだった。気づくと辺りが真っ白で、すぐそばを飛んでた団員も見えなくなって……声だけを頼りに、しばらく隊列を組んでたんだ。……そこに『ヤツ』が現れた」
「大災の竜か」
「あちこちで悲鳴が聞こえたよ。竜に襲われた断末魔というよりは、混乱したり、恐怖したりする声。みんな、自分が誰なのか分からなくなったような……ここはどこだ、俺は誰だ、みたいな感じだったよ」
「なんと」
それは初めて聞くことだった。
「悲鳴は、エアロから上がってた。ボクは『ジェルジオの槍』を退避させて……ああ、そうだ、そこで竜が現れたんだ」
「ふむ」
「何度も夢に見た存在だった。ボクはヤツを殺すために生きてきた。調査なんて知ったことか。これは千載一遇の好機。ここで殺してやる、絶対に。……そう考えたのは覚えてる。剣を振り上げたことも。……でも」
「きみまでも、『ここはどこボクは誰』状態になってしまったと」
理解が追い付かず、つい茶化すような口調になってしまった。側にいる仲間のジャックス・クロウが、「お頭ぁ」と非難めいた声を上げたため、やや反省する。
ロゼッタもじろりとコミッショナーをにらんだが、激しく怒り出すことはなかった。まだ脳が受けたダメージが抜けていないのだろう。
「目が合った瞬間から、どんどんジルパワーが吸われていく感覚があったよ。一気に手足が冷たくなって、意識が闇の中に沈んでいって……そのうち、自分が保てなくなった。ボクは誰、なんてかわいいものじゃない。思考することすら奪われた」
「ジルパワーが枯渇すると、人間は恐慌状態に陥る、か」
「混乱の中、自分が何をしてたのかは覚えてない。……でもこの状況を見たら、いやでも分かるよ。ボクはキミたちを襲った。被害も相当出したんだろう?すまなかったね」
「ふぅむ、まあ、仲間が殺られていたら、われらとて相応の礼はするがなぁ。あいにく、こちらの被害はゼロだ」
「被害はない?ボクが襲ったのに?」
「ハハハハハ、自信家は嫌いじゃないぞ!まあ、命拾いしたと認めざるを得んがね。混乱状態にあったと同時に、きみはわれだけを狙っていた。なぜか」
「なぜ?」
「これは根拠のない仮説だが……きみは大災の竜にジルパワーを吸われ、混乱する中、本能的にジルパワーを求めたんじゃないかね。他者を襲ってでも、自分のジルパワーを回復するために」
「人間は、他人のジルパワーなんて吸えない。でも、それすらわからなくなってたってこと?」
「ああ、ゆえにわれを狙った。今、われのもとには自身のジルパワーに加え、『これ』がある」
コミッショナーは持っていたアギュウスをロゼッタに見せた。
Holeから持ち帰ったレリックにはあらかじめ「大槌」に作らせておいた弾丸を込めていた。これは特注の「ジルパワーをこめた弾丸」だ。
「きみはジルパワーを求め、われを狙った。そしてアギュウスの撃った弾丸をその義眼で受け、ジルパワーを回復させて正気に戻った。……どうだ?」
「さあ?混乱してたときのことは覚えてないよ」
ロゼッタは悩むそぶりもなく、あっさり言った。考えても分からないことは考えない、ということなのだろう。
ただそれでも、否定はしなかった。彼女の中でも、ある程度コミッショナーの仮説に思うところはあったのかもしれない。
「ジルパワーが回復すれば自我を取り戻す、ということが真実ならば、朗報ではある。……だが、同時にまずいことにも気づいてしまった。きみが襲ってくる直前、巨大な影がオルフィニア大陸の方へ飛んで行くのが見えたぞ」
「それ、大災の竜!?」
「その可能性が高い。大陸には、多くの覚醒者がいるが、彼らが何の対策もせず、竜と遭遇したならば……」
「全員、ジルパワーを吸われて、混乱したまま同士討ち」
その地獄絵図が目に浮かび、船内が静まり返る。
次の瞬間、ロゼッタは跳ね起きた。目にはしっかりとした意志の光が輝いている。
「ボクは戻るよ。このことを皆に……女王陛下に伝えなきゃ」
「ああ、われも仲間に信号弾を送るとしよう。……ふむ、『青薔薇、救出……われ、大穴……竜、殺すな』の三つでいいか」
「まだThe Holeを目指す気?」
呆れたようにロゼッタが言った。世界の命運を決める状況で、なおも己の欲望を優先するコミッショナーが理解できない、というように。
ただすぐに考えを改めたのか、彼女は肩をすくめた。
「ま、全員で同じことする必要はないか。いろんな人がバラバラのことしてたほうが、思わぬところから妙案が見つかったりするだろうしね」
「ふん、われはわれのために動くだけだぞ」
「そう思ってるのはキミだけ」
「…………」
ロゼッタはおとなしく上空で待っていたグリフィンを呼び寄せ、その背に軽々と飛び乗った。
「誰が、何を考えて動こうと、その行動はきっとみんなを生かすよ」
「全体主義は性に合わんが。……だがまあ、そうだな。人は生きているだけで様々な情報を残す。散っていった者も、無駄死にではない」
「……っ」
今度はロゼッタが黙る番だった。つらさをこらえるような感情を見て、ピンとくる。
(ブレイブは途方もない犠牲を払ったな)
先ほど、ロゼッタは言った。「竜にジルパワーを吸われた」と。
ならば、浮遊の力を得ていたメテオランテ・エアロは。
大海原で飛ぶ力を失い、かつ錯乱した彼らは。
(生きているはずがない)
ジルコンギアを手放していた「ジェルジオの槍」と改心した鞭打ち苦行者のほうはまだ生存している可能性もあるが、彼らとて竜と遭遇しつつ何人か生還できたかどうかは分からない。大幅な戦力ダウンだろう。
「……ん?そういえば……」
去り際のロゼッタを見て、コミッショナーはふと違和感を覚えた。目で見た限り、ロゼッタはさほどやつれているようには見えない。衣服も汚れてはいるが、目をつぶれる程度だ。
「ロゼッタ殿、なんとなくの感覚でいい。自分が何日、ここにいたのか分かるか」
「さあ……。何日ってことはないんじゃないかな。数分?数時間?」
「……だよなあ」
仮にロゼッタが数か月もの間、この霧の中にいた場合、衣服はボロボロになっているだろう。錯乱した状態で文化的な食事ができるとも思えない。たとえどこかに豊富な食料がある無人島があったとしても、自失した状態で空腹を満たそうとしたら、全身が動物や魚の血、植物の汁でべたべたになっているはずだ。
それはさながら、文明から遠ざかった獣同然の姿。
だが今のロゼッタは疲労の跡こそ見えるものの、きちんと人としての尊厳を保っている。彼女がこの霧の中でさまよっていた時間は短かったはずだ。……だが、
「どうにも引っかかる。……本当に一日も経っていないのか」
「それはボクも気になるよ」
ロゼッタも顔をしかめた。自分の両手を何度も握り、何かを確かめる。
「この霧の中で過ごした時間は、確かに一瞬。……でもそれが霧の外でも同じとは限らない」
「……どういうことだね」
「錯乱してたから定かじゃないけど……少し前、霧の向こうから歌が聞こえた気がする。……こんな感じの」
「……!!」
ロゼッタが口ずさんだ歌……それはこのフリーダムが今のような無政府国家になる前のこと。当時、政府軍が好んで歌っていた軍歌だった。
よほど長生きをしている者でなければ、もう旋律すら分からない。コミッショナーも幼少期、入り浸っていた地下図書館でその楽譜を目にしただけだ。音律は分かっていたが、ブレイブの民であるロゼッタが知るはずがない。
「まさかこの霧の中では時間が止まっている、のか……?きみが霧の向こうで聞いた歌声は、何十年も前にこの霧に迷い込んだ当時の人間の声だったのではないか?」
「そんなこと、本当にあり得る?」
「分からん。……が、以前フリーダム領海のHoleに潜ったときも、われは似た感覚を覚えたぞ。はるか悠久のときを経たはずの神殿が現存し、祭壇に置かれていたレリックも腐食してはいなかった」
The Holeにはまだ謎が多い。その影響を「Hole」や「魔の海域」も受けているのかもしれない。
「すべての謎はいまだ、解き明かされることはない。……まあ、だからこそ面白い」
「ボクにはよくわからない感覚だね。……ボクにとっては、キミがHoleから戻ってきたという話が一番興味深い」
霧やHoleの中の時間がどうだろうと、そこから出ることは可能だということだ。出ようという強い意志さえあれば、自分たちはどこにでも行ける。
「ボクはもう行くよ。陛下たちに伝えなきゃいけないことが山積みだ」
「ああ、行きたまえ、ドラゴンキラー。ここからは時間との勝負だぞ。……これを持っていきたまえ」
「これは……っ」
コミッショナーが投げ渡したものをグリフィンの背で受け取り、ロゼッタは目を見開く。彼が投げたのはHoleで手に入れたレリック「アギュウス」だ。
「きみとの戦闘で弾が尽きた。今、われが持っていても、それは役に立たん」
「ふうん」
「すでに『大槌』には弾丸の量産を依頼してある。彼女と合流できれば、再びアギュウスも使えるだろう」
「……分かった。預からせてもらうよ」
ロゼッタはアギュウスを落とさないように懐にしまい、ふと表情を改めた。珍しく、その口元が緩んでいるように見える。
「ちょっと意外だ。キミは一度手に入れたものは独占するタイプだと思ってた」
「その通りだと考えてもらって構わん。ちゃんと返せよ。絶対後で回収しに行くからな」
「分かってる。……生きてたらまた会おう」
そのまま、ロゼッタは去っていった。霧の向こうに消えていったグリフィンの影を見つめ、コミッショナーは意識を切り替えた。
「われはわれで、やりたいことをやるさ。行くぞ、The Holeへ!」
フリーダム領海に開いたHoleでアギュウスを見つけたときに気付いたのだ。The Holeにも似たように、レリックが眠っているのではないか、と。
それを手に入れられれば、大災の竜に対抗する強力な手段になりうる。竜がオルフィニア大陸の方角に向かった今、無人のThe Holeへ向かうことができるのはコミッショナーしかいない。己の望むままにThe Holeを目指していたことがここで功を奏すとは。
――風が吹いている。
いい方向か悪い方向かは分からないが、とにかく運命の歯車が動いているのを感じる。
それを感じながら、コミッショナーは再び船をThe Holeの方へ進めた。