NOVELS 小説
- 第2話以降
第59話
明かされる百年前の真実
遠方から飛んでくるヒヤシンスの攻撃は大災の竜は大いに苦しめていた。
後方で戦況を把握するグローリーの議長ウィリアムの合図をマスターグラシアラが最前線に伝え、竜に取りついている者たちが素早く引いた瞬間、閃光が飛んでくる……。
竜の身は確実に削られ、海面にはがれた鱗が散らばった。周囲に肉の焼ける匂いが立ちのぼる。とんでもない悪臭かと思いきや、そうでもない。大災の竜がヘドロや汚泥ではなく、The Holeという静謐な穴で眠り続けていたためだろうか。
「いい……匂い……」
命がけの戦場には似つかわしくない声がぽつりとこぼれた。不謹慎だととがめる声は上がらない。どういう偶然か、このとき竜の一つ首の周りに、やや特殊な感性の持ち主が集っていた。
「ドラゴンって美味しそう!!」
「ずっとグリフィン、食べたかったけど……んんん、グリフィンとは休戦!今日の晩飯は竜のフルコースにゃー!」
グローリーのアプリコットとブレイブのアニャが目を輝かせた。生まれも育ちも違う二人は目を合わせ、ガシッと手を握り合う。
「お、おい、お前さんたち、まさかこんな状況で……」
「こんな状況だから、こそでしょう。今は竜のお肉を食べる貴重なチャンスですから……!」
さすがに口をはさんだ英雄騎士団の男に、フリーダムのシィエも言い返した。アプリコットとアニャがバッと振り返り、今度は三人でがっしりと握手する。
「行きますか!」
「行こう!」
「行くにゃ!」
いついかなる状況でも食への感謝と喜びを欠かさない三人が竜の一つ首に襲い掛かる。
「肉――――!!!!」
――ギャオオオオオオオ!!
……その竜の絶叫だけは、ほんの少し哀れに聞こえた。
激しく首を振っても振っても張り付き、鱗をはがし、肉を削り取ろうとする三人を見て、地上の戦士たちは一瞬だけ、強敵に対して同情した。
***
一方、そのころThe Holeではコミッショナーたちが新たな局面を迎えていた。
無数に穴の開いた迷宮のような地底……その一つをふさぐジルコンの巨壁が音もなく溶けて消えたのだ。
何がきっかけだったのかはコミッショナーにも分かる。壁が消失する寸前、三人の女性が現れたのだ。
勇気の国ブレイブにて竜騎士団「ジェルジオの槍」を指揮する団長ロゼッタ。
平和の国ピースフルにて新英雄として覚醒したヴィント。
そしてロゼッタの操るグリフィンに抱えられていたピースフルの教皇――。
教皇は数か月前の戦いで大災の竜にジルパワーを吸われ、ジルコンの彫像と化していた。経緯を説明されなければ、教皇が彫像になったのではなく、ジルコン結晶を教皇の形に彫ったと思い込むところだ。それほど、今の教皇に生命の息吹は感じない。
まだ話すことができたとき、教皇はこのThe Holeを目指していた。だからこそ、彫像と化した彼女のこともここに連れてきたのだとロゼッタたちは言った。
確かにその考えは正しかったのだろう。
「壁を開ける『鍵』は教皇、か?」
困惑しつつコミッショナーが問うと、ロゼッタとヴィントは顔を見合せた。
「多分?」
「知らないけど」
「…………」
おい、と思わず突っ込むが、ロゼッタたちは平然としている。コミッショナーのほうがおかしなことを言っただろうかと悩みそうになるほどだ。
「なんか独特な人たちッスね」
部下のジャックス・クロウがささやいた。触らぬ神に祟りなし、とでもいうように、彼自身は現れた女性陣から一歩距離を置いている。対応は任せた、という態度を貫かれると、腹も立たない。
「まあ、性格に関してはこの際、何も言うまいよ。閉ざされた道が解放されたという事実が重要だ」
ジルコンの壁が取り払われた奥には一片の光も差さない闇が広がっていた。
意を決して、一同はさらに奥へ進む。
封じられていた洞穴もまた、鍾乳石や石筍はなく、巨大な筒状のトンネルだ。
(一体ここは何なのだ)
コミッショナーの疑問に答える声はない。
やがて……一同の前に、巨大な地下空洞が姿を現した。
「ここは」
誰もが息を呑み、その光景に見入った。
息が白くなるほど、気温が低い。はるか頭上に天の蓋があり、海からの流水を防いでいる。じわじわと染み出した海水はぬらりと地面を濡らし、川のように流れていく。低地に向かって流れる川は地底湖に続いているのだろう。
その流れで少しずつ削られていたのか、壁は棚のようにでこぼこと隆起していた。そのくぼみや亀裂に引っかかるように、洞内のあちこちに信じられないものが「落ちて」いる。
「レリック……まさか、こんな大量に」
コミッショナーたちの生きる時代、文明には存在するはずのないものの総称だ。以前、フリーダム近海のHoleでコミッショナーが見つけた短銃「アギュウス」のように、異様な形状の品々が無造作に落ちていた。
原色のパーツで構成された曲線的な銃らしきもの、氷漬けになった謎の生物の四肢、うつろな表情をした土人形のようなもの、奇妙な縫製技術で作られた衣服に見えるもの、見たこともない形状の刀らしきもの……。
いずれも、これまでコミッショナーは見たこともないものだ。謎のボタンや、見たこともない留め具がついていたり、初めて触れる材質で構成されている。
「ハハハハハ、アギュウスを見つけたときの感動が薄れるレベルだな、これは!使い方はさっぱりわからんが……だからこそ面白い!」
手当たり次第にレリックを懐に収めつつ、コミッショナーは笑った。
ただ、未知のレリックに魅了されているようでいて、その目は冷静に周囲を見回していた。
この空間に「敵」と呼べるものはいない。長きにわたって封印されていたのが明らかなほど、地下空洞は厳かな静寂で満たされている。
……だが見渡せば、壁や地面に刻まれた深い傷跡が目についた。大きな亀裂は大抵二本か三本、等間隔で岩盤を穿っている。まるで鋭いかぎづめを振るった巨大生物の痕跡のように。
「これはいったい……んん?」
そのときだ。唐突にコミッショナーは眉をひそめた。あれこれ考え事をしていた際、突然思考回路にノイズが入った気がした。
周囲を見回すと、ロゼッタとヴィントもいぶかしげに辺りを見回している。
「おい、まさか全員、同じ現象が……ぐっ」
ふいにノイズが鮮明になった。
自分の考えとは違う「何か」が頭に流れ込んでくる。映像とも音声とも違うが、そのどちらも兼ね備えている違和。決して自分の体験ではないのに、まるで遠い昔、間近でその景色を見続けていたような錯覚。
……数人の男女が歩いている。
誰に説明されることなく、コミッショナーはそれを百年前の英雄たちだと分かった。
彼らは竜を調査する旅に出ていた。希少種ではあるが、竜はこの世に存在する生き物だった。
だがある時、彼方から飛来した「石」から放たれた瘴気のようなものが竜を変異させた。竜は狂乱し、石の落ちたThe Holeに潜った。
……そして大穴の中にあった強力なレリックを飲み込み、凄まじい力を得た。
瘴気で狂乱するだけなら、まだ倒せた。
強力なレリックが存在するだけなら脅威はなかった。
だが竜がそれを飲んだとき……自然界の生き物だった竜は「大災」となった。
調査していた英雄たちは竜を鎮めようとしたが、彼らのジルコンだけでは手に負えない。竜を浄化することも倒し切ることもできず、彼らは無念のまま命を落とした。最期の力を振り絞り、次代に「英雄のためのジルコン」を残して……。
「……う、ぐ」
長く、それでいて一瞬のことだった。
コミッショナーは頭を振り、混乱する意識を引き戻した。まるで誰かの半生を強制的に頭に流し込まれたような感覚だ。見れば、ロゼッタとヴィントも同じ顔をしていた。
「今のは、何だ」
「英雄たちの記憶」
ヴィントが言った。
「ボクの右目になった『英雄のためのジルコン』がそう告げている。ここに、このジルコンを持つ者が訪れたとき、今の映像を送る仕組みになってたのかもしれない」
「じゃあ今見たのが、本当に英雄たちなんだ」
ロゼッタが眉をひそめた。
「でも気づいた?今の光景の中に、ピースフルの教皇はいなかった」
三人は一斉にジルコン化した教皇を振り返った。物言わぬ彫像になった彼女は瞬き一つすることなく、静かにその場にたたずんでいる。
「まだまだ謎は残っているな」
気を取り直し、コミッショナーが言った。
「だが分かったこともある。The Hole最高のお宝……強力なレリックは今、大災の竜の腹の中だ。なんとしても手に入れる!」
「この期に及んでも考えがブレないの、ある意味すごいね」
ヴィントが肩をすくめる。
だが彼女は妙にすっきりした顔をしていた。
「今見た映像の中の一人……母さんにちょっと似てたな。多分、アレはボクのご先祖様なんだ」
「ボクに似た人もいた」
ロゼッタも言った。
「幼いころ、ボクが受けた呪いは、ずっとそれは竜の呪いだって言われてた。もしボクの先祖も英雄だったら……」
「そうか……!大災の竜と直接戦った原始の英雄たちは皆、呪いを受けた。その呪いは子から孫へ、そして子孫へとつながれていき、今に至っていると?」
「確証はない。その可能性がある、程度だけどね」
コミッショナーは視線を険しくして、ロゼッタとヴィントを見比べた。ロゼッタはすでに呪いを受けている。ヴィントは呪われていないが、昔、母親が姿を消したという。
「ヴィント、きみの母はきみが幼いころ、呪いが発現したのかもしれんな。きみを守るためには、行方をくらますしかなかったのだ」
「…………」
ヴィントは何も言わなかった。否定したい気持ちと納得する気持ちがせめぎ合っているように見える。
だが長い沈黙を経て、ヴィントは己の葛藤を振り払うように大きく息を吐きだした。
「そうかもしれないし、違うかもしれない。きっと母さんが真相を知っている」
「捜す気か、これからも」
「当然。そのためにボクは生きてきた」
そう言い切るヴィントに、コミッショナーはうなずいた。彼女に寄り添い、共感すべきは自分でない。
「地上に戻るぞ。われわれのするべきことが分かった」