NOVELS 小説
- 第2話以降
第15話
つかの間の平穏
A.D.1644'秋
季節は一瞬で巡った。
窓を開けるとすがすがしい秋の風が吹き込んできて、シャインは思わず空を見上げた。淡い色の空は薄雲を刷毛で刷いたようで、見ていると爽快感と寂寥感を同時に感じる。
「あまり根を詰めるなよッ」
ノックしつつ執務室に入ってきたリーチが苦笑した。
デスクには高々と書類の山が積まれているが、これでも減った方なのだ。朝は、シャインの頭を超すほどの量があったのだから。
「大丈夫、今日の分は今日中に……ひっ」
笑いながら振り返ったシャインはリーチを見て、断末魔に似た悲鳴をあげた。彼の腕に大量の書類が抱えられている。
「せ、せっかく減らしたのに~……!」
「すまんッ」
これは謝るしかない、とばかりに、リーチは殊勝に頭を下げた。それでいて書類はしっかりデスクに置いていくのだから、容赦ないというか、有能というか。
「俺の権限で片づけられるものは片づけたんだがなッ。この辺りはどうしてもお前に目を通してもらわねえと」
「やるよ!やるけどさ~……ビール飲みたい……ボアソー食べたい……」
「……さすがに限界みてえだな」
リーチの言う通り、連日の書類仕事で精神的に参っているのは確かだ。
だがそれ以上に、市井の様子を直接確かめられないのがキツい。
王の選択は民の人生に直結する。自分では最善を尽くしたつもりでも、その結果、民が苦しむのならば意味はない。
自分の行動が正しかったのか、間違っていたのか……それは民の様子を見て、ようやく実感できるのだ。
「ミルムからも今、聞いてたの。各地の様子」
執務室の隅に控えていた女性を見て、シャインは言った。
派手な髪型だが、顔立ちは上品な女性だ。宮廷道化師として城に出入りする一方、彼女は各地を旅して情報を集め、シャインの元に届けてくれる。
「このあと、サーカス団に混ざって、また地方を回るんだって。そっちで何かあったら、また知らせてもらおうと思ってる」
「そうかッ。頼んだぞ!」
リーチの激励に対し、ミルムはにこりと笑い、優雅に一礼すると執務室を出て行った。
「城下町の方はどう?物価は戻った?町は荒れてない?」
彼女の後姿を見送り、シャインはリーチに尋ねた。
「どこもかしこも平和だッ。物価は安定してるし、新しい商売を始めたヤツもいる」
「新しい商売?」
「買ってきた。本当は自分で行きたいだろうが、今日はこれで我慢しろ」
リーチが差し出したのはフワフワした雲のような物体だ。
「何、これ?」
「グリフィンのふわふわ綿菓子、だそうだ。全く……我が国の民は商魂たくましいなッ。あれほどの脅威を商売に結び付けちまうとは」
棒を受け取り、恐る恐る綿を口に運ぶ。
「……っ!」
唇に柔らかい感触が当たったと思った瞬間、その綿はふわりと消え去った。後には甘い空気が口いっぱいに広がるのみだ。
「うわぁ~~、何これ、美味しい!」
「後はグリフィンのTボーンステーキ串と、激ヤバビール。ミス・クラムの新作もあったんで買ってきたぞ」
「本当!?」
シャインの顔がぱっと輝いた。
城下町の一角にて店舗を構えるブレッド・クラムのパン屋は人気が高い。「人を幸せにする世界一美味しいパンを作ること」を目標に、彼女は常に新作を生み出している。
「ロック鳥のささみと唐揚げを両方包み込んで焼いた総菜パン?はぁ~、美味しそう……!」
「他にも、目についたもんを片っ端から買ってきたぜ。いったん休憩しろッ」
「ありがとう!いただきます!」
勇気の国ブレイブにグリフィンの大群が現れたのは三か月ほど前の話だ。王立ビール工場の工場長、アンブローシアの作った最高峰の「激ヤバビール」を使い、メテオランテ・エアロの隊長、ミスターメテオランテがグリフィンたちをビアガーデンに誘導した。
そして存分にビールを飲んで酔っ払ったグリフィンたちにシャインが飴を与えたことで、事態は完全に解決したのだった。
舐めた者が勇気を出せるシャインの飴はグリフィンたちに「人間と共生する勇気」を与えた。敵対する存在ではなく、互いに支え合う友として、今、彼らは竜騎士団の騎乗動物になってくれている。
竜を恐れぬほど勇猛で素早く、空を自由に飛び回れる最強の相棒だ。どれだけ探しても見つからなかった存在が、こんな形で現れるとは。
「竜騎士たちの騎乗訓練も上々だッ。これならうちの最大の戦力になるだろうぜ」
「うん。竜騎士団の団長も見つかったしね」
最初、シャインはミスターメテオランテが適任だと思っていた。空を愛し、飛行を愛する彼ならば、立派に騎士団を率いることができるだろう。
だが当のミスターメテオランテが辞退したのだ。身軽さと素早さが売りのメテオランテ・エアロと、武具をまとい、武器を持ってグリフィンを駆る竜騎士団は全く別の性質を持つ。無理に兼任しようとすれば、どちらも中途半端で終わるだろう、と。
メテオランテ・エアロの機動力は有事に置いて、最大の情報伝達能力を誇る。ミスターメテオランテの警告を無視した結果、この能力を失うことだけは避けたかった。
「いい人が見つかってよかった」
小腹を満たしながら、シャインはグッと拳を握った。この夏の狂乱を思うと、これほどきれいに収まったことが奇跡に感じる。
「三国の方もそれぞれ解決して何よりだよ……一時はどうなることかと」
シャインはデスクの脇に置いてあった書簡を手に取った。それぞれ、各国からの状況が記されている。シャインもまた、同じように三国にブレイブの状況を報告したが、それぞれの代表から、互いの無事をねぎらう返書が送られてきたのだ。
「ピースフルは現代に生きる新英雄を見つけたんだってね」
平和の国ピースフルでは教皇の神託により、辺境地に囚われていた賊が釈放された。小舟で商船を襲ったという勇猛な罪状に反して、ヴィントと名乗ったその賊は女性だったという。
解放された女盗賊は進軍する骸骨戦士相手に、力比べを挑んだそうだ。持てる力をすべて出し切った結果、骸骨戦士たちの魂は浄化され、従順になったという。
どこまでが真実なのかは分からないが、新英雄の華々しい登場っぷりに惚れ惚れする。
骸骨戦士は今、ピースフル領内に町を与えられ、まるで生きている人間のように生活しているそうだ。
「グローリーのほうはさらにすごいなッ」
書簡を一瞥し、リーチが言う。苦笑しているような、困惑しているような、感嘆しているような……複雑な声音だ。
廃坑道にミノタウロスを閉じ込める作戦を取った栄光の国グローリーだが、突発的な難題により、それが不可能になったようだ。
しかしそこで事態は一変する。グローリーの誇る音楽家ピーカブーの演奏により、ブタちゃんたちが覚醒した。七色に発光し、足踏みを始めた彼らに呼応するように、かの地が保有していた巨大砲台が起動したという。
それはジルパワーともまた違う、失われた太古の存在……「魔法」のようだったそうだ。
極大魔法砲台ヒヤシンスと命名されたその兵器は砲身をミノタウロスに向け、発掘現場から特大の一撃を見舞った。
ヒヤシンスの花のように美しく咲き乱れながら魔方陣が展開する。そして巨大砲台はまばゆい白い光を放ちながら廃坑道を半分と、ミノタウロスを全頭焼き尽くした。後には骨一つ残らなかったという。
「そして、フリーダム」
海から襲い来たシャークイッド自体は歴戦の猛者たちにより、たちまち狩り尽くされた。高級な鮫皮を持っていたことと、現れた先が自由の国フリーダムだったことがシャークイッドたちの運命を決めたのだろう。
狩り大会が開かれ、かの国の民は嬉々としてその宝の山に飛びついたそうだ。
……そして鮮やかな不意打ちによって親玉を倒したコミッショナーはその足で自国近海に開いた穴「Hole」に突入し、一つの物質を持ち帰ってきた。
フリントフロック式の短銃に似ているが、オルフィニア大陸のものとは全く違う。穴の中に存在した古代遺跡にある「レリック」と呼ばれる物質だそうだが、それ以上のことは分からない。穴から生還したコミッショナーから送られた書簡には詳細が何一つ書かれていなかったのだから。
「……まあ、以前も言ったけど、これは仕方ないよね」
詳細を求めようとする自分を、シャインは意志の力で抑え込んだ。
全滅の危険を冒し、未知の穴に突入したのはコミッショナーだ。そこで何が起き、何を見て、何を得たのか……。それらの情報や戦利品はすべて彼のものだ。
こうして情報を共有してくれただけでもありがたい。どれほど簡単なものだろうと、シャインたちは我慢しなければ。
「危機は去った。……けど」
ピースフルから、予言の内容が変わった、という噂は流れてこない。教皇の語る予言では依然として、「A.D.1647'秋、世界の滅亡」が示唆されたままなのだろう。
Holeから現れた怪物を鎮めたことは「世界の滅亡」とは関係なかったということだ。三年後に訪れる脅威はいまだ去っておらず、世界は存亡の危機に立たされている。
「大災の竜は今、どうしてるのかな」
「小国を滅ぼした後、一度も現れてねえからなッ」
だが、この先も現れないという保証はない。
シャインは不安を飲み込み、窓から空を見上げた。