NOVELS 小説
- 第2話以降
第30話
交渉材料
A.D.1647'冬
季節は飛ぶように流れ、冬が来た。草木が枯れ、山に住む動物たちは姿を隠し、厳しい季節がやってくる。
年が明け、本来ならば皆、喜びを感じる時期だ。
……だが今年はどの家も固く門を閉ざし、大切な人々と寄り添って息をひそめている。不吉な影が家の中に忍び込むことを避けるように。
この年の秋、世界は滅ぶ。
平和の国ピースフルにある石板に描き込まれた予言が当たった場合、人々に残された時間はあと半年しかない。
これまで様々な異常事態が起き、各国は全力で対処してきた。しかしそれでも、世界の滅亡は依然として提示され続けている。
ピースフルの教皇が自身の記憶を取り戻すため、The Holeに向かうという連絡は同盟国であるグローリーにも届いた。
教皇の失われた記憶に関しては、グローリー側にとっても無視できない。
百年前に起きた「大災」……それ以前に教皇たちがジルコンを持っていたと鞭打ち苦行者が語ったためだ。それが真実ならば、合わせて苦行者が語った「大災の竜はジルコンを狙う」という内容にも信ぴょう性が出てくる。
ただ真実だった場合、なぜ苦行者たちがそれを知っていたのか、という謎は依然として残ったままだ。各国の努力によって改心した苦行者たちからも明確な答えは得られなかった。現れた当初は「真なる神の啓示を受けた」などとのたまっていた者も、時間が経つにつれて、自分がなぜそう言ったのかが分からないと首をかしげるようになっていた。
記憶の書き換えが行われているのか、当時、何者かに記憶を縛られていたのか……。
「すべては教皇の記憶次第、か」
執務室にて議長であるウィリアムがそうつぶやいたとき、ふいにドアがノックされた。手を止め、応答すると無駄のない仕草で女性が一人、入ってくる。
「よかった、間に合ったようですね」
栄光の国グローリーの誇る教育機関、ジルコニア学園の学園長、グリード・ゲート・フェルディナだ。ミノタウロス討伐時、廃坑道に明かりを設置するなど、常に教え子でもあるウィリアムを補佐してくれている。
見知った恩師の登場に、ウィリアムは自分でも無意識に小さく息を吐いた。
「先生、わざわざありがとうございます」
床に置いていたトランクをバタンと閉める。ようやく今、最後の荷造りが終わったところだった。
「行ってまいります。我が国の名を汚さぬよう、精いっぱい務めてまいりますので」
「ふふ、わたくしたち国民は誰も心配しておりませんわよ?」
眼鏡の奥の理知的な瞳を細め、グリードは落ち着いた微笑を返した。
「国を代表し、最善を尽くしてくるのです、ウィリアム。他の者も皆、出立の準備を整え、あなたを待っているわ」
「はい」
少し前のことだ。ウィリアムの元に、ブレイブの女王シャインから親書が届いた。
来る滅亡の日を回避するため、四大国で力を合わせないか、と。
これまでブレイブとフリーダム、ピースフルとグローリーは同盟を結んでいたが、今度はそれを四大国すべてに広げようと言うのだ。
直ちに大評議会が開かれたが、丸一日かかった前回とは違い、今回はほんの一国で議論が終わった。
満場一致で賛成、と。
グローリーの国民は皆、心を同じくしている。彼ら一人一人の思いを全て背負い、ウィリアムは四大国の首脳陣が集まる会合に出向く。
「先生はかの土地をご存知ですか?何か、必須のものがあればご教授いただきたく」
「わたくしが旅したことはないのだけれど、立ち寄ったという画家がいたわ。百年前から何も変わらず、大災の竜により壊滅的な被害を受けた当時のまま、放棄されている土地だった、と」
「ああ……ドロシー・エクスプ」
それはグローリーにて名をはせている「旅する画家」の名だ。探検を好み、観察眼に優れた彼女は世界を旅し、気になるものを圧倒的な画力で書き記している。彼女の審美眼にかかれば、対象物はその外見だけでなく、内に秘めたものまで絵画の中に映し出される……。そう賞賛されるほど、ドロシーの絵は高い評価を受けていた。
「とてもさみしい場所。……絵画からはその思いが伝わってきました。ですが、危険な印象は受けなかったわね。百年前と違い、かの土地に今も残る危険はないでしょう。海沿いなので、この時期は風が冷たいでしょうけれど」
「なるほど」
「十分、防寒対策をして行きなさい。あなたが風邪を引いたら大ごとですから」
四大国の首脳陣が集まるのはどの国の領土でもない「空白地」……オルフィニア大陸の最東端にある荒廃した土地だ。
会合を提唱したブレイブが、開催地に最も遠い。フリーダムとオルフィニア大陸を隔てる海峡を通り、グローリーとピースフルを通り過ぎて、ようやく到達する異郷の地だ。主導権を握るは我ら、とばかりに自国で開催することもできただろうに、最も遠い場所を指定したブレイブのバランス感覚はウィリアムにとっても心地よい。会合の際、盟主に推薦する者は決まったな、と心の中で考える。
「これを」
ふと、グリードが何かを差し出した。
小脇に抱えられるほどの大きさで、みずみずしく花開くユリを思わせる部品がついている。土台部分にはいくつかのボタンが設置されており、一瞥しただけでは用途がよく分からない。
受け取り、ウィリアムは目を見開いた。
「ジルコニア通信装置!完成したんですね」
「大急ぎで作ったので、まだ燃費も悪く、不安定ですけれどね。大量のジルパワーをこめることで離れた場所にいる者との通信が可能になります」
「素晴らしいです。距離は?」
「残念ながら、首脳会議の開催地とここを直接つなげるほどの力はないわね。中継地点として等間隔に機器を持つ教師を向かわせています。彼らの口を介して、わたくしの元に届くでしょう」
万能ではないと言われたが、それでも十分ありがたい。これまでとは比べ物にならない速度で、意思疎通ができるのだから。
「いくつか量産しておきました。国家間の交渉時、必要になればお使いなさい」
「ありがとうございます」
「国内の守りはわたくしたちが担います。ピーカブーも帰ってきましたし、万が一のときはヒヤシンスを稼働する準備はできています。……そして『彼』も」
「…………」
「あなたが国を離れている間の大評議会は自分がまとめると、ヘンリーが息巻いておりました。何か言付けがあれば、伝えますが?」
「いえ、必要ありません」
ウィリアムの脳裏に一人の男が浮かんだ。幼いころからの盟友だ。貧しい時代を共に生き、ともにこの国の未来を語り明かした。腐敗した貴族政治を打破したあとも、ヘンリー・マクスウェルは頼れる相棒だ。
「僕たちは常に、手に入れた情報を共有してきました。そして長い時間を共にすることで、似た思考回路を形成してきた。……今では互いに、相手が何を考えているのか分かります」
「なるほど」
「国内は先生とヘンリーにお任せします。……では、行ってまいります」
深々と頭を下げ、ウィリアムは荷物を抱え上げた。
オルフィニア大陸の最東端……そこで行われる、世界首脳会議に向けて。