NOVELS 小説
- 第2話以降
第1話
勇気ある日常
A.D.1643'春
オルフィニア大陸の西部にて、くっきりとした青い空が城下町を覆っていた。真っ白な雲もレンガ造りの街並みも、すべてが輪郭線を色濃く残し、鮮やかだ。
春になったのだ、とようやく実感がわく。冬の間はくすんだ空気が漂っていたこの国にも春が来た。
――勇気の国「ブレイブ」。
実力と努力を貴び、武力と芸術に秀でた国。
国民は皆、誇りを持って自国の名を口にする。「おや、シャイン、久しぶりだね」
ゆっくりと市中を歩いていたシャインはふいに声をかけられた。顔を向けると、前掛けをした女性が手を振っている。ジューシーな匂いにつられて駆け寄り、シャインはにこりと破顔した。
「おばさん、こんにちは!元気だった?」
「もちろんさ。こんなご時世だが、元気を失っちゃおしまいだもんね。女王陛下に笑われちまう」
からからと笑い、女性はずいっと持っていた串肉を差し出した。
「アンタ、城で働いてるんだろ。これ食べてきな」
「あっ、ボアソー!いいの?」
「しっかり食って、しっかり寝て、女王陛下を守ってもらわないとね!」
バチンとウインクする女性にあいまいな笑みで応えつつ、シャインはありがたく串肉を受け取った。
ボアソーはブレイブの名産品だ。麦畑を荒らす山イノシシにたっぷり香辛料を練り込み、風味豊かなソーセージに仕立て上げている。一口かじれば、パキリとした歯ごたえと共に口中に旨味が広がり、脳内が多幸感で埋め尽くされる。うまい、幸せ、最高、うまい、うまい、うまい。
「ビール、ほしいいい」
思わず本音が口からこぼれた。感動に震えるシャインに合わせ、頭の高い位置で結んだ二つのお団子ヘアも一緒に揺れる。
ブレイブの誇る麦酒<ビール>は世界一だ。国の西部にある巨大な王立ビール工場にて、日々最高の逸品が生み出されている。
工場長が手掛ける自信作は栄養価が高く、衛生的で長期保存も可能な「命の水」。大げさではなく、ブレイブのビールはこの過酷な世界で人々に活力を与え、明日を生き抜く力を養ってくれる。
片手に持ったボアソーをパキリ。そして片手に持ったビールをグビリ。
この瞬間こそ、生きていると実感できる。
「おばさん、ご馳走様。いくら?」
「いいよいいよ、サービスだ。この前、アタシが熱だした時、店番を代わってもらったしね」
「でも」
店頭でジュウジュウと音を立てて焼かれているボアソーを見て、シャインは眉をひそめた。
ひと月前に比べて、値段が倍近く上がっている。
「麦畑から王都に入る道が崖崩れでふさがれたそうでね。山イノシシを卸してる旅商人が遠回りしなきゃならなくなった分、仕入れ金が上がっちまったのさ」
シャインの視線に気づき、女性はコミカルな仕草で肩をすくめた。
「でも通りかかったメテオランテ・エアロの隊員がすぐ気づいて女王に報告してくれた。おかげで道はすぐ直ったそうだから、女王様様だね。次からはまた元通りの値段になるから安心しておくれよ」
「ならよかった」
わずかに胸のつかえは取れたが、完全に安堵するまでには至らない。
(結局、なんで崖が崩れたのか、分からなかった)
似たようなことは各地で報告されている。崖崩れでふさがれた道、突如として干上がってしまった池、いきなり発生した山火事。
いずれも至急調査隊を差し向けたが、原因は分からずじまいだ。。……不吉な予感がする。
「麦畑の方は平気かな」
そちらにいる友人の顔が脳裏をよぎった。
今から向かえば、日暮れ前には着けるだろう。顔を見るだけでもいい。向かってみようか。
店頭の女性に礼を言い、シャインが城下町を出る東門の方に足を向けようとした時だった。
「へい、レディ。至急、回れ右だ」
頭上から快活な声が降り注いだ。同時にフッと頭上に影が落ち、続いて石畳になにかが着地する。
振り返り、シャインは目を丸くした。
「ミスター!」
茶色の髪を風に遊ばせた伊達男が立っている。日に焼けた小麦色の肌。活き活きと輝く瞳。風の寵児と名高いミスターメテオランテだ。
「コメットテイル」と呼ばれる流線形のホバーボードを手に、彼はからからと笑っている。
「脱走がバレた。レディを捜して、みんな右往左往してるぜ」
「本当?早く戻らなきゃ」
「んじゃ、オレと一緒にドライブでもどうです?」
気取った仕草で礼をするミスターメテオランテにシャインは破顔した。
「お願い、ミスター」
男はシャインに手を貸し、ホバーボードに飛び乗った。
「しっかり捕まってろよ」
かか、とミスターメテオランテが笑う。
次の瞬間、ボードは音もなく、ぶわっと空に舞い上がった。